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【今更】天下統一日記。

お久しぶりです。

コーエーが「信長の野望」を出しやがらないのでしびれを切らした僕は、とうとう、超ストイックな戦国シミュレーション「天下統一」に手を出してしまいました。

「天下統一」の詳細なゲーム内容については後で挙げるwikipediaやamazonや個人サイトさんを参照していただければよいのですが、これが面白い。

いや、武将グラフィックとか一切ないんですけどね。
文字と日本地図とパラメータ数値を見ながらちくちく進めていくのです。

「天下統一」なんてゲーム知らないよ!って方は以下でまずお勉強してください。

wikipedia天下統一シリーズ

amazon 天下統一~相剋の果て~バリューパック

天下統一(個人サイトさん)



だいたいおわかりでしょうか?
コーエーの「信長」にしか触れてこなかった人にとっては、とっつきにくくもありますが、超新鮮でもあります。

「信長」が、好きな武将を集めてドリームチームを作り、俺TUEEEE!!!!っていうところが遊びとするならば、「天下統一」は、戦国時代を本気でシミュレートするゲーム。
とはいえ、ルールは超シンプル。
でいて「信長」よりリアルで奥深い。

顔グラフィックも武将列伝もないので、最低限、「信長」に出てくる武将くらいはわかってる必要はある。
戦国マニアを自称する僕ですらワケワカンネな武将がごろごろ。
けど、そういうマイナー武将もかなり使えたり、誰よこいつな武将をまた調べなおすという楽しさもあるわけ(小学生のころ「信長」やりながら一生懸命武将を覚えた、あのときのワクワク感が蘇る)。

道作んなきゃ行軍時に疲労がたまったり、春や夏は農業に従事する半農半士たちを戦争に動員できなかったり。
けど、そんなやつらに兵農分離政策を施すことで動員率を上げたり、また長宗我部家だと兵農分離政策ができなかったり(史実で「一領具足」と呼ばれる半農半士政策を採っていたため)して。

そういうマニアックなとこ、「信長」じゃ表現できないし、できたとしてもシステム的に複雑になっちゃいそう。

そういうのがうまいこと、シンプルに表現されているのです。


ちなみに今回の投稿はほぼ友人のo木氏に向けて書いています。
そろそろ「信長」をやめて「天下統一」をやってみては?と
君くらいマニアックなら必ずはまるはず。

あと「天地人」を欠かさず観ているseven_spot殿。
君は頭いいのでこういうゲームはまんないかなあ。無双やってる場合じゃない。


で、そんなえらそうなことを言ってる僕自身初心者なんですが、今回は初心者プレイ日記をつけてみるよ。

ちなみに連載化決定です。
仕事から戻ってちくちくやっていきます。

では以下から、天下統一日記の始まりです。

ちなみにソフトは、シリーズの中でも最もバランスの取れている名作との呼び名高い「天下統一~相剋の果て~バリューパック」です。

以下のプレイ日記には僕の脳内補完も結構含まれていたりしますのでご注意を。
このゲームの楽しさはいかに脳内補完できるか、って部分もあったりします。
シンプルなゲームデザインが一層、脳内補完に拍車をかける。。。

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みよ。このシンプルな画面。
とりあえず、プレイする大名家選びから。

当然僕は備前の梟雄、宇喜多直家率いる宇喜多家を選択。
ちなみに「信長」と違い、プレイヤーは大名個人ではなく「大名家」を担当します。

次に難易度選択がありますが、少しひよって「中級」に。


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これがメインの画面。
ずっと、ほとんどこの画面で(各コマンドウインドウはいろいろ配置を変えられる)ゲームを行う。

さて。1565年、永禄8年といえばこの5年前に織田信長が桶狭間で今川義元を破り乱世に名乗りを挙げ、着々と頭角を現し始めていた年。

このころ備前では、宇喜多直家という策謀家が、主家、浦上家の中でメキメキ頭角をあらわしていた。

宇喜多家の主城は沼城。
備前は豪族や国人たちが割拠し、各家を先導するに足る家はまだなかった。

直家はそんな群雄割拠する備前地方にあり、主家(浦上家)からの独立の機を虎視眈眈と狙っていたのだった。

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宇喜多家配下。
春家、忠家は直家の異母弟。一説には同一人物とも。
のち、その功績から宇喜多三老といわれることになる、戸川秀安、岡利勝、長船貞親もいる。
知勇兼備と名高い花房正幸もいる。


まずは着々と内政に励みつつ、備前の支配を確固たるものにしつつ、天神山城の浦上氏、岡山城の金光氏の動向を伺う。

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岡山の金光宗高は兵力こそ寡兵だが、岡山城の防備は固い。
そして何より西、備中に目を向けると三村家が備前をうかがっている。
備前の内乱を傍観し、漁夫の利を得ようとしているのだ。

東に目を向けると主家である浦上家が天神山に根を張っている。
3000の兵を擁しておりこれも手ごわい。

しかし、岡山城に進軍し、よしんば岡山城を得たとしても、岡山の町の疲弊を慰撫できぬまま、三村に攻め込まれるは必定。

やはりここは浦上宗景に臣従しつつも、その隙を狙うことに決めた。
直家は自慢の謀略で天神山城の兵糧を焼き、じわじわと疲弊させつつ時期を待った。


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そんな折。
1566年(永禄9年)秋。

直家は浦上宗景に、播磨侵攻を進言。
後方は自分たちが命に代えても守り通す、と訴えた。

宗景は直家を信じ込み、後を託すと、播磨へと侵攻。
天神山城を空けてしまった。

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直家はこれを好機、とばかりに宗景を裏切り、4000の兵を率いて天神山城を包囲。
主のいない天神山城を容易く落城させて見せたのだった。


播磨への進軍中にこの報に触れた宗景は我を忘れ、兵を引き返し直家と一戦交えん、と意気込んだが、家臣の必死の諫めから、進軍途中の室津にとどまった。

直家は、弟、忠家を天神山城に呼び寄せ、自らは沼城へ帰還。
見事、主家からの独立を果たした。

宇喜多家は、国人から豪族へと成長した。

その後、忠家は天神山城の防備を固め、直家は沼城下の発展にいそしむ。

宗景は幾度か旧居城奪還の軍を派遣しようとしたが、姫路の別所家に牽制され身動きが取れない。

そんなこんなで2年の月日を内政に注ぎつつ、次の標的である岡山の金光宗高に謀略をかけて弱体化を図っていた。

そして、1568(永禄11)年秋、直家は花房、岡、長船、春家、馬場を率い岡山城へ押し寄せた。

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金光宗高は寡兵ながらもよく戦い、また、堅牢な岡山城にも助けられ、1度は宇喜多軍の侵攻を食い止める。

しかし、その年の冬にも宇喜多軍は岡山城を包囲。
力攻め、兵糧攻めを巧みに用いた宇喜多軍に、城内の将兵の内応が相次ぎ、とうとう、落城する。

家臣たちに裏切られ、落ちゆく城内で、金光宗高は一人、腹を切り、その生涯を閉じた。

直家は、最後まで勇戦した金光宗高を手厚く弔い、岡山城へと入城。
その立地を気に入り自らの居城と定めた。

しかし、宇喜多軍の猛攻により、城はもとより城下は壊滅状態となっていた。

備前をほぼ手中に収め、直家は当面、戦を行わず、岡山城下の復興が急務とし、内政を重点的に行う。


約半年が経ち、岡山城下にも復興の兆しが見え始めた1569(永禄12)年夏。

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播磨の室津城に拠っていた浦上宗景が、別所軍に急襲され、城を奪取された。
宗景はどこかへ落ちのびたとも、残党狩りにあったとも、その行方は誰にもわからないのであった。


備前統一を目前とし、岡山城下の復興を行いつつも直家は次なる一手を打とうとしていた。。。


つづく。
by jai-guru-deva | 2009-02-17 04:18 | 今日知るゲーム
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