カテゴリ:今日知る旅行( 49 )

京都と古写真。

古写真が好きだ。

中学の頃に幕末写真の時代という本に出会ってから、日本の写真黎明期のものが好き。

やっぱり、鮮明で豊富な情報が詰まっているから、絵とはインパクトが違う。
浮世絵などでは分からない、生々しい人物や風景がそこにはある。


まずは簡単に写真史の勉強でも。
そんなに詳しくはない&結構はしょって書くので
誤解もあるかも。ご容赦。


■ヘリオグラフィ
フランス人ニセフォール・ニエプスが発明した最古の撮影技法。
新たな印刷技術の模索の末に発見。
光が当たると凝固する性質を持つ瀝青というアスファルトの一種を使う。
露出のために、8時間~20時間を要し、人物など、動くものを映すことは困難。

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これは、ヘリオグラフィで撮られた「世界最古」の写真。
版画を写し取ったもの。


■ダゲレオタイプ
ニエプスとともに写真技術を研究していたフランス人画家ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが、
ニエプスの死後も研究を続け、発明。1839年システムの全容を公開。
銀メッキをして磨き上げた銅版の表面にヨウ化銀の膜をつくり、カメラに取り付け、露光。
光が当たってヨウ化銀が銀を作ることで像が記録される。
さらにそれを水銀水蒸気にさらすことで初めて、記録された像が、
目に見えるようになる(露光時に出来た銀の場所に水銀が作用し水銀アマルガムが形成されるため)。
さらに、この像を定着させるために初期は食塩水、後にチオ硫酸ナトリウムを用いる。
露光時間は初期で10~20分。
改良され、最速で1~2分程度

■写真湿版
1851年 イギリス人のフレデリック・スコット・アーチャーが発明。
ヨウ化物を分散させたコロジオンを塗布した硝子版を硝酸銀溶液に浸し、湿っているうちに撮影。硫酸大一鉄溶液を用いて現像を行い、シアン化カリウム溶液で定着させてネガを得る。
露光時間はわずか5秒から15秒。
さらに1枚のネガから量産が可能となり、一気にダゲレオ・タイプを駆逐。

このあと、歴史的には写真乾版、フィルム・・・と続いていくのだが、ここでは割愛。
幕末期は、初期にダゲレオタイプが持ち込まれ、その後、独自に写真術を学んだ上野彦馬という
人物の主導もあって湿版が主流となっていきます。


では、このころ活躍した写真家とその写真を見て行きましょう。


■上野彦馬
日本最初の写真家。
蘭学者の父の影響で、医学、化学を学ぶ。
その過程で湿版写真の技術を知り、写真術の研究へ。
1862年故郷長崎で、日本初となる写真館の営業を開始。
坂本竜馬・高杉晋作ら、幕末の志士の肖像を多く撮影した。



いくつか、印象的な写真をあげてみる。



清水寺周辺
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熊本城
奥のちっちゃいのが熊本城。
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日本人集合
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上級武士と家族
大村藩30代藩主大村純煕とその家族。
純煕は明治2(1869)年の版籍奉還で藩知事、明治4(1871)年の廃藩置県で引退。
その直後、明治5年頃の撮影。
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明治の軍人
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幕臣
撮影年代、人物は未詳。
幕末のリアルタイムなものか、あるいは廃刀令以降、
サムライ姿を残しておこうという流行の中で明治期に撮られたもの、かも。
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彦馬と家族
明治3~4年頃
右側に掛けているのが母・伊曾
左側が妻・むら
彦馬の横の4人は娘でこの、ちえ、ぬさ、にわ
2人の子供は、ちえの子で彦馬の孫にあたる
元次郎と娘・なか
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彦馬の場合は、写真家のはしりだからか、「リアルな」写真を撮るんですよね。
あまり作られていない、生の表情を撮ろうとする。
後で紹介しますが、時代が下っていくと、どんどん商業的になっていって、
みやげ物としての嘘くさい日本像を押し出したものが多くなってくる。

しかしこの人がいなかったら、残ることのなかった幕末の人物たちの肖像というのも
多かったんだろうな。。。




次。

■フェリックス・ベアト
イギリス人。イギリスの植民地戦争(クリミヤ戦争、セポイの乱、アヘン戦争など)で報道写真を撮る。
横浜開港後、横浜外国人居留地に移り住み、写真館を開業。
横浜や江ノ島、鎌倉といった場所は当時から観光地として栄え、外国人がたくさん訪れていたそう。
そうした外国人に日本土産として日本の風俗や風景を撮影した写真の販売を始めたのが、
このF・ベアトという人物。

同様に印象的な写真をピックアップ。


■横浜の運河と街並み
1865年9月7日撮影。
左手遠方には「岩亀楼内」の文字が読みとれる。横浜外国人居留地背後の太田屋新田沼地を埋め立てた太田町の裏町とされる。1866年の大火で消失、翌年遊郭は奥の吉田新田(新吉原仲之町)に移転する。
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■中津川と彦馬邸
1864年の撮影。
彦馬がここに写真館を開業して2年目となる年に撮影されている。
建物はまだ質素。
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■鎌倉大仏
どういうわけか、ベアトは多くの鎌倉大仏をとっている。
良く売れたのかな?
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■鶴岡八幡宮
多くの観光客がいる。
が、おそらくこれらの人はモデル。
境内の様子はほとんどいまとかわらない。

もっとも境内の樹齢数百年のイチョウは
東原亜紀のデスブログによって、根元から倒れて果ててしまいましたが。

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■銀閣寺
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■金閣寺
当然、放火前の姿
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■八坂の塔
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■浅草寺
広重の江戸百景の中にも同じ構図の絵があり
ベアトもこれに影響されたか
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■東海道
江戸時代の街道にはこのように道の両脇に杉の木が植えられていた。
旅人はこの木陰で休憩しながら、旅を続けたという。

ベアトはこの街道の杉の木を珍しがり、多くの写真を撮っている。

こうした旧街道の風景は、箱根などに一部当時のままの姿で保存されている。
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■下関砲台占拠
1864年の馬関戦争時の写真。
1863年長州藩が攘夷実行の名目で、米英商船を砲撃。
英仏蘭米の4カ国に逆襲された戦争。
この敗戦で、欧米との差を痛感し、長州藩の思想は攘夷から一気に倒幕へと進むことになる。
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■鎌倉事件現場
1864年の馬関戦争の直後、鎌倉の八幡宮の前の4つ角でイギリス軍人、ボールドウィン少佐とバード中尉の2人が殺害された事件。

その現場の写真。
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■生麦事件現場
1862年、江戸から帰る途中の島津久光の大名行列に
観光で来日していたイギリス商人のリチャードソンら数名が、行列を横切り、薩摩藩士により殺傷された事件。

これがもとで後に薩英戦争が起きるが、戦争後はむしろ、薩摩とイギリスは接近し、強固な佐幕藩であった薩摩も急激に討幕へと傾いていくことの一因となった。
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※このあと、生首の写真があって割とショッキングなので
観たくない方はここで終了するか、超速で下まで移動してください。



















清水清次さらし首
鎌倉事件の首謀者としてとらえられた清水清次は
斬首の末、さらされた。
その時、ベアトが撮影したもの。
清水については冤罪であるとの見方もある。
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長崎のさらし首
江戸時代には間違いがないが、詳しい年は不明。
また、何の罪に問われたのかも不詳。
左端には、赤ん坊の磔もあることから、一族皆殺しにされるほどの重い罪だったことは想像できる。
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ベアトの場合は、商業写真家としての側面と、報道カメラマンのはしりとしての側面を持っていますね。
どちらかというと報道カメラマンとしての側面が強いか。
割と多くの幕末の事件現場に立ち会っている。
この時代の日本で、全国各地を飛び回るっていうのは、いろんな面で大変だったろうと思うが・・・。



さて。さらに次。

■日下部金兵衛

ベアトの弟子。
明治14年に横浜に写真館を開く。
外国人観光用写真として最も人気があった写真家。


では、また写真を。

■明治天皇
1872年の撮影。
明治政府の政策として、強い大日本帝国を打ち出すために、軍服、髭を天皇に半ば強制させた。
もともと天皇は、化粧、お歯黒をし、女ことばを話すという風習があったが、これも廃止。
明治天皇自身は大の写真嫌いで有名。

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■昭憲皇太后
上の明治天皇とともに撮影。
明治天皇の皇后。

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■日本の風俗
作為的な、モデルを起用した写真。
商業的で、完全な「生」の日本ではない気がして、あんまり好きではないけど
それでも、間違った情報ではないだろうから、当時を知るうえでは貴重。

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■名古屋城
空襲で燃え尽きたのは本当に悔やまれる。
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■二条城
いまも変わらず。
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■大坂城
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■富士山
多くの富士山の写真を残す。
周りの風景は変わっても、当然ながら富士山はずっと変わらない。
ベアトはそこまで富士山にこだわっていなかったが、日下部は膨大な量の富士山を撮っている。
日本人的で興味深い。

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■軽井沢と浅間山
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■金閣寺
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■法隆寺
このころも鹿がいる。
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■東大寺
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■横浜遠景
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■横浜外国人居留区
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■江の島
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■濃尾地震被災写真
明治24年に起きた濃尾地震の様子など、
天災による被災地も多く写真に残している。
報道写真として、新聞社に販売したのだろうか。
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日下部の場合、商業的な写真が多く、このころには、写真が江戸時代の浮世絵のように
みやげ物として売れていたことが分かる。


今回、載せた写真は長崎大学付属図書館のデータベースからお借りしました。
まだまだいっぱい面白い写真があります。
検索もしやすく素晴らしいデータベースなので覗いてみるとよろしいかと。


さて、以下に撮影者不明の写真をいくつか載せてみる。



■八坂の塔
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■小田原城
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■野菜
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■二寧坂
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■清水寺
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■地蔵
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・・・。



なにかおかしいと感じませんか。





おかしいと感じた方。



するどい。



実はこれら作者不詳の写真・・・・






何を隠そう。

現在の写真です。


つい先週くらいの姿で僕が撮った写真です。


本来の姿はこちら。


■八坂の塔
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八坂の塔八坂の塔


■小田原城
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■野菜
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野菜野菜


■二寧坂
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二寧坂より二寧坂


■清水寺
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清水清水寺

■地蔵
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清水地蔵


これ、幕末古写真ジェネレーターというサイトで、好きな写真を選択するだけで、こんな、幕末写真っぽいものにしてくれるというもの。
2008年くらいに公開されて、かなり話題だったとかで。
僕はさっぱり知らなかったんですが。これが面白くて。


これを紹介するために、こんなに長い長い投稿になってしまったでした。

疲れた。。。

ともかく、面白いので遊んでみては??

元写真含め、先週京都に旅行に行った時の写真をflickrにアップしているのでそちらもよろしくです。

ではまた。
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by jai-guru-deva | 2010-04-21 01:57 | 今日知る旅行

ふらふらと蒲田周辺。

また随分久しぶりの更新となりました。

スキンも変えて、若干リニューアル。
逆に見にくくなったか?


シンプルでかつ、写真が大きく載せられる形がいいな、と
選んだのですが。

というのも
今回、めでたくデジイチデビューをして、その写真をのっけたいからだったり。

いろいろ悩んだ結果、NikonのD90を購入しました。
レンズは18-105mmのやつ。
nikon


さらにflickerデビューもしたので、これからあげる写真は、基本的に
flickerへのリンクがついてます。


昨日、購入して家に帰って、早く使いたい!とうずうずして、今日。

朝はジムがあったので、2時間ほど運動した後、カメラを持って近所をめぐってみることにしました。


蒲田にほど近い、萩中というところに今住んでいますが、ちょっと歩くと多摩川の河川敷に行くことができます。


まずは、そこに向かいました。


以下、写真をあげながらそのときの状況など。


多摩川河川敷のねこ


河川敷に着くと、猫が。
格好の被写体キタ!
と思って近くの椅子に座ったところ、この子、人にめちゃくちゃ慣れてて、
ぴょん、と僕の横に座ったかと思うと、次の瞬間には膝のうえにいました。

かわいいやつだ…

なんて思うところですが、こいつ…

なんかすげー臭い。


しかも目が白内障みたいなのにかかってるのか、よく見えていなさそうで、
足とかもかぶれてる……。


かわいそうなので、そのまま膝のうえに座らせてたんですが、
オイニーがきつすぎて、ギブアップ…。


写真撮ろうと近づくと、この子はこっちに近づきすぎるので
なかなか良い絵がとれませんでした…。


たま川


突然おっきい写真。

ことさら強調する必要はないけれど、多摩川です。
ひらがなで書くとかわいい。

河川敷を、とくにあてもなく、東へ移動。


六郷土手

しばらく行くと、六郷土手に到着。
ここにはゴルフの打ちっぱなしがあって、日曜なんかは満員。

僕も、同期と打ちっぱなしに来たことがあります。

京急線に乗って川崎に行く途中にも電車から見ることができます。


六郷土手

京急線はすぐわきに通ってます。
赤い電車です。

赤い電車


これ、モヤモヤさまぁ~ずが六郷土手来た時にも遊んでいましたが
線路がすげー近い。
この高架、しゃがまないとくぐることはできません。
もはや低架。
電車が通る線路の真下に入れます。

頭の真上を通る電車は圧巻
というか、怖い。


六郷京急線高架下

下からのぞくとこんな感じ。


土手から駅に行く間に、こじんまりとした神社があります。

六郷土手の神社

落馬止め神社。
なんでも、かの暴れたがりんぼう将軍、吉宗の落馬を止めたとかなんとかで
そのうわさが、東海道を旅する旅人の間で広まって、信仰が広まったんだとか。

ここには江戸時代、船渡しがあって、品川から出発した旅人が、川崎に行くときにかならず通った場所なんですね。
いまでは辺鄙な場所にあって参拝客など皆無ですが。

天神=学問の神、菅原道真

と落馬を止めるということから、いまでは受験で落ちるのを止める
神様として、信仰されてるとかなんとか。


ここの梅がきれいでした。

六郷土手の神社の梅


こまいぬ。
Komainu


六郷を後にして、次に向かったのが、京急梅屋敷。


梅の季節だし、梅でもとろうず
と、意気込んで行きました。

ちなみに。
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この広重の亀戸梅屋敷は、蒲田の梅屋敷ではありません。
亀戸です。
残念ですが、亀戸の梅屋敷は、明治時代に隅田川が氾濫して全滅してしまったそうです…。


さて、こちら、蒲田の梅屋敷ですが。
江戸時代の富豪が作った梅をあしらった、純和風庭園が公園化されてあるとのことだったので
行ってみました。

ここは、明治天皇もお気に入りで、9度も訪ねては、梅を愛でていたということです。


今日は、まだ、満開、というわけにはいきませんでしたが、まずまず。


梅屋敷の梅

梅屋敷の梅

梅屋敷の梅

梅屋敷の梅


とまあ、こんな感じで。

あと、うちの近所に、なかなか珍しい道があるので紹介しておきましょう。


七辻

写真じゃあ分かりづらいのだけれども、七辻と呼ばれる、七叉路です。

wikipediaに航空写真がありました。

この道は、大正6年から10年かけて作られたそうです。
信号機はありません。

「日本一ゆずりあい交差点」
との看板も立っています。



といったところで、久しぶりの更新は以上です。

カメラを手に入れたので、いろいろと外出する機会も多くなると思います。
ブログもまた頑張りだすかもしれません。

ではまた。
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by jai-guru-deva | 2010-02-21 19:58 | 今日知る旅行

てすと

Komainu
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by jai-guru-deva | 2010-02-21 18:26 | 今日知る旅行

京都南禅寺〜哲学の道。


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一つ前のエントリの暁斎展を見たあと、このブログの「京の都 一日目後半」「宇治平等院と智積院。」で紹介している、四条河原町先斗町「炭寅」へ。
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四条大橋から。
河原はいつもカップルで賑わっている。
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先斗町。
細い路地で、京都っぽくて好き。「炭寅」はこの路地を三条方面に進んで行くと左手にあります。
狭い店でかつ人気店なので予約は必須。

お誕生日で3000円割引券が着てたのだ。
ここで、大阪出張に来ていた彼女と合流。
いつものように京野菜や魚、鳥を焼いてもらって、〆に焼きおにぎり。そして無限に出てくるお餅。
いつものように二人して食べ過ぎてしまった。
二人ともほとんどお酒を飲まないのに結構なお値段。どんだけ食ったんだ。

その日の宿はウェスティン都ホテル京都へ。
ウェスティンに泊まるとか、大人になったもんだ。
まあじゃらんマスターの僕が探したお得なプランですけどね。


で、次の日。
3日で世の中は本格的にゴールデンウィークが始まる日。
京都は半端じゃなく暑くて、半袖でも汗が噴き出してくるような陽気だった。
京都っぽいジメッとしたまとわりつくような暑さ。

特にどこに行こうとか決めてなかったんだけど、ホテルが蹴上にあるので、そこから近い南禅寺へとぶらぶら散歩しよう、ということに。

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南禅寺へ行く道は、昔、電車が走っていたところなのだ。
今回は新緑が気持ち良かったんだけど、春には桜が満開になります。

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南禅寺。
新緑がビビットでめちゃ綺麗。

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モミジって紅葉のときよりも緑のときのが綺麗で好きです。

南禅寺の三門は期間限定で登れることもあるので、運が良ければ登ってみましょう。
今回は登れました。

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日差しも強いので反射した緑が痛いくらいに目に刺さってくる。
門の上は涼しくて眺めも良くてイイです。日本三大門の一つですから登れるなら登っときましょう。

奥に行くと、疎水と呼ばれる、琵琶湖から京都市内に向けて引かれた煉瓦作りの水路が現れる。
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これは滋賀県大津市で汲まれた水が、南禅寺横を通り、蹴上まで流されている。
疏水の工事は1881年に始まり、1890年に竣工したようで、明治期の文明開化の匂いを残す。
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この奥が南禅寺発祥の地、南禅院なんだけど、不思議とこのレトロな煉瓦とマッチしていて別種の趣がある。
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疎水を見て、法堂に戻り、南禅寺を後にする。
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臨済宗大本山南禅寺

そこからまた道なりに歩いて行く。
道中いくつも寺院があるが、南禅寺の寺域の広さに驚かされる。

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途中にあった水路。
これも疎水を通って琵琶湖からはるばるきた水かな。

やがて道は哲学の道へと繋がって行きます。

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途中にはクマが座っていました。
ずっと座らされてるのか、色褪せてますね。。。

歩くこと30分ほど。

銀閣寺門前についたんですが、もの凄い人と暑さで、銀閣寺拝観はやめにする。前来たし。
で、引き返す。
途中、わざと道をそれて法然院とかがある方へ。

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法然院に至る道。
今回は行かず。
法然院

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途中の安楽寺という、正直僕も知らないお寺へ。
門の前を通りかかった時、あまりに緑が綺麗だったから、誘われるがままに。。。

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境内にいたお地蔵さん

このお寺については→安楽寺

安楽寺をあとにして、また哲学の道に復帰。

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今回の京都旅行は1泊2日の強行スケジュールだったので、いつものようにガッツリ寺巡り、とかではなく、ゆっくりお散歩しました。

強行軍で行くから疲れるだろうなあ、と思っていたけれど、なんか僕はやっぱり京都がすごく落ち着く。

別に寺を見るでもなくぼんやり歩いてるだけで、心が浄化される。

なんかのコピーじゃないけど、日本に京都があって本当に良かった。
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by jai-guru-deva | 2008-05-04 12:30 | 今日知る旅行

中国旅行記 まとめ。

中国旅行記、長くなったのでまとめときます。

初日から順にリンクを張っておきますね。


中国旅行記 北京編。
成田を発ち、北京へ。1日目の夜まで。不安でドキドキの中国旅行スタート。

中国旅行記 北京編その2。
2日目。初めて駅で切符を買ったり初めて北京ダックを食べたり。初めてづくし。
故宮博物館で溥儀の甥に会い、胡同で自転車タクシーにボッタくられる。困惑に満ちた2日目を書く。

中国旅行記 北京編その3。
3日目。ユースのツアーに参加し、英語のガイドに率いられながら万里の長城、明十三陵を巡る。また、洛陽行きの寝台列車に乗るハードな3日目を書く。

中国旅行記 洛陽編。
4日目。古都洛陽を行く。関羽の首塚のある関林廟では関羽に成りきりその御霊を鎮め、龍門石窟にはそのスケールに圧倒される。憧憬と魅惑の4日目を書く。

中国旅行記 西安編。
5日目。ほとんど洛陽から西安への移動に費やす。特に観光地は回らないが、韓国人と知り合う。出会いと別れの5日目。

中国旅行記 西安編 その2。
6日目。兵馬俑、秦始皇帝陵、華清池、と西安定番観光コースを行く。脅威の6日目。

中国旅行記 西安編 その3。
7日目。大雁塔にて三蔵法師玄奘を想う。祈りの7日目。

中国旅行記 襄樊編。
8日目。バスでの大移動の末、大軍師諸葛亮の家を訪う。怒濤の8日目。

中国旅行記 上海編。
9日目。襄樊をわずか6時間で切り上げ、最後の目的地上海に入る。外灘を見学し、高級料理を食す、幻惑の9日目。

中国旅行記 上海編その2。
10日目、11日目。上海タワーに登り、全速力で駆け抜けた中国を回顧する。11日目にはリニアモーターカーに乗り、帰国の途につく。感動の最終章。


以上、最初から通して御覧になるも良し好きなところから御覧になるも良し。
中国へのバーチャルトリップを楽しんでいただければうれしいです。
ではまた。
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by jai-guru-deva | 2007-11-22 14:32 | 今日知る旅行

中国旅行記 上海編その2。

【10月2日 火曜日 上海 晴】

11:00頃
起床。
疲れが出ていたため、爆睡してしまった。

12:00
ユースのレストランで遅い朝食。ブランチ。

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こんな感じのとこ。
メニューは
アメリカン
ヨーロピアン
スイス

スイスはヨーロピアンじゃないのか。
永世中立国だから別枠なのか。
謎。

13:00頃
人民広場駅へ。

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上海の地下鉄はこの写真のように、電車のくる時間が秒単位で示される。
これにはびっくり。
しかもほとんどピッタリにくるからまたびっくり。

だけどまあ、乗客のマナーは最低。
普通、降りる人が先で、乗る人は後、じゃないですか。
ここの人たちは、もう、どちらも我先に我先に、という状態で電車に乗るのにいちいち戦争になる。譲り合いの精神なんて皆無。
順序よく乗り降りした方が結果早くて効率的なのに。
いたるところに、整列乗車を促す
「文明乗車!」
という注意書きを見たけど、なんだか皮肉に思えてくる。
こういうところを見ると、上海という街自体、ハリボテのような空疎な街に見えてきてしまう。

ただ、逆に言えばこうした、なりふり構わないパワフルさも魅力の内だとも思う。

中国に行って思ったけど、僕は日本ではいろいろと気を使いすぎてちょっと疲れてるなあと感じることがある。
例えば電車で、音楽を聴く時、ボリュームを必要以上に下げてたり、いろいろと他人の目というのを気にして生きてる。

ところが中国では他人に気を使わなくてすむので、非常に楽だった。
まあ、最初は他人への気遣いのなさにストレスが溜まっていたけれど。慣れてしまえば、中国のが楽に生きられる気がした。


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この日の計画は上海博物館を見学して、上海タワーに登ること。
とりあえず、きれたタバコの補充を求め、街をブラブラ。

そして最初の目的地、上海博物館。


青銅器のコレクションは世界随一とも言われる、大きな博物館。
近現代の展示物は皆無で、清代以前のもの、特に古代のものが多い。

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行列ができてた。
やっぱり国慶節ということで、自分たちのルーツを探れる歴史博物館にみんな行くようだ。

では展示品をどうぞ。

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や ば す ぎ な い か 。

この辺りのものはだいたい紀元前1000年前後のもの。
中国の青銅器は紀元前2000年頃から作られ始めたといわれるが、今から4000年も前ですよ。
もの凄い精密で、不可解な形なんかも多い。

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この牛の表現なんかももの凄く丁寧に表現してある。
改めて中国の文化に敬意を表すると同時に畏怖を念を感じた。

他にも銅剣や矛なんかの武器類や秦が度量衡を統一する以前の貨幣なんかもあった。

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この剣は、春秋時代の「春秋の五覇」の一人、越王・勾践(こうせん)のもの。
勾践の遺品なんかがあることにまずびっくり。
ちなみにこの勾践は、ライバルである呉王・夫差とともに「臥薪嘗胆」の故事熟語のもとになった人物。
夫差は越に父・闔閭(こうりょ)を殺された後、薪の上に寝て復讐心を忘れなかった。その結果、越の勾践を滅亡寸前にまで追いつめた。
勾践は夫差に負けた後、苦い胆を気の枝につるし、それを嘗めることで復讐の心を呼び起こし、さらには部下に「汝、会稽の恥を忘れたか」と言わせて記憶を薄れさせないようにした。そうして最終的に呉を滅ぼし、夫差を自害させるに至った。

このことから、「臥薪嘗胆」とは「成功するために苦労に耐える」という意味を持つ熟語として今に伝わっているのだ。

さらに、この呉と越という宿敵同士の国は、「呉越同舟」という故事熟語を生むことにもなる。
ただし、この故事は実際に起こったことに由来するのではなく、かの有名な「孫子」にその教えとして載っているものなのです。

「孫子」では、兵法には9つの地があり、9番目のものを”死地”というものを置いている。
死地とはいっても、必ず死ぬ場所ということではなく、 逡巡せずに戦えば生きる道がある場所ということ。
兵を死地に置いて戦うことの重要さを説明するために、孫子は「呉越同舟」の話を用いているのだ。
「呉と越は仇敵同士だが、 仮に呉人と越人が同じ舟に乗り合わせ川を渡る場合、強風で今にも舟が転覆しそうになれば、呉人も越人も普段の敵対心を忘れ、 互いに助け合って危機の乗り越えようとする。」
孫子は、兵を死地におけば、兵の心を一つに固めることができる、そこが重要だと言うためにこの言葉を作ったのだ。

ちなみに「孫子」の著者が孫武だとするなら、彼は呉の闔閭に仕えていたようだ。
さらに、三国時代の呉の孫権は「自分は孫武の子孫」と自称している。
まあこれは姓が一緒というだけで根拠ないことだけど。

いや、歴史って面白い。
中国史の場合それがまた日本語に影響してきていて、文学の話にもなるから尚更面白い。

とまあそんなこんなで長くなったけど、青銅器はこんなところ。

次は仏像ゾーンへ。

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立派な仏像だなあ、と見ていたところ。。。
仏像の台座に目をやると。。。


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なんなんだ、この絵は。

小学生の落書きレベルじゃないか。

字もなんかヘタクソじゃありません?

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仏頭。
でもやっぱり仏頭で興福寺の山田寺の仏頭に適うものは無い気がしてくる。
くぐってきた修羅場が違うものね。

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胡人俑。
西域とかの遊牧民族をモデルにした人形。

顔も不敵でいい感じ。

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半端ねぇwww


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こいつもヤバい。

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もうね、殺す気かと。

いかつすぎでしょ。ちょっと。
迫力が凄い。。。

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もうダメだー☆

ここの仏像たちはクレイジーなのが多すぎて、素敵。

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ゆっきーも早速お友達になりました☆

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なんかこれ気に入ってる。



こんなかんじで、超楽しい。
上海旅行される方は是非行ってきてください。
少し中国史の知識があれば、相当楽しめる博物館。

ただ、時間には余裕を持って行った方がいいかな。
結構広いので、全部見て回れない可能性も。
僕たちがそうで、5時になった瞬間に警備員のもの凄い圧力によって強制退場。
日本でもそうだけど、これって結構腹立つ。
最後まで見させたれや、と思ってしまう。



さて。
なんだかんだで上海博物館を堪能して、次は上海タワーへ。

本来なら、外灘から対岸へ地下遊歩道があって、そこを使って行きたかったんだけど、国慶節規制で入れてもらえず。

仕方なく地下鉄で行くことに。

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18:00
上海タワー到着。

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本名を「東方明珠電視塔」
高さ467.9mで、アジア第1位、世界ではカナダのトロントにあるCNタワー(553.3m)、ロシアのオスタンキノ・タワーに次ぎ、第3位の高さを誇るテレビ塔。
一見華奢そうな体躯だけれど、下から見るととても重厚。


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払うお金によって、行ける階層が異なる。
これは東京タワーも一緒。
せっかくだから一番上に行きたいのが人情ってもの。
150元(約2400円)の大金を叩いて入場。

中は多くの人で賑わっていた。
というか大行列。
これも国慶節仕様。
まあ仕方ないので並ぶ。


行列は遅々として進まず。
ここでも中国人のマナーの悪さに辟易。
細い通路で、押しまくってくるわ、飲み終わった缶やらペットボトルやらをところ構わず投げ捨てるやら。。。
困ったものだ。

やっぱこういうのって、外国からの観光客にとっては見たくないもの。
中国が好きで憧れていたからこそ尚更悲しいし、腹立たしい。
自分も日本で、外国の人に見られても恥ずかしくないように行動しなきゃ、と思った。
日本が好きで、観光に来てくれてる人にがっかりさせたくないから。
そういう心ない行動ひとつでその国に対する評価って大きく変わってしまうと思った。

なんてことを考えながら、少しずつ登って行く。

結局1時間30分ほどかかって最上階へ到着。
かつて「東洋の魔都」とまで呼ばれた上海の夜景。
そりゃあもう、綺麗でしょう。
期待を膨らませ、ガラスから下を覗く。。。


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な ん だ こ れ 。

非常に微妙。

というのも、ガラスが全部磨りガラスみたいになってて、少し白く濁っているのだ。

そりゃないだろ。

なんの意図があってそんなことをするのか。
ここに来る人間は100%夜景を楽しみに来ているのに。

落胆したまま、それでも悔しいから写真を撮る。

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対岸の外灘。

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川を行く船はみんなイルミネーションで飾っていた。
中には広告を載せた船もいて、上海タワーから見る人用になっているのが面白かった。

最上階の一個下の球体の展望室は普通のガラスで、最上階より見やすかった。
なんで最上階のガラスがあんな仕様なのか謎。
ここで十分な気がする。


夜景自体、正直、東京と比べるまでもない、という印象。
六本木ヒルズからの眺望の足下にも及ばない。
ヒルズなら併設されてる森美術館も見れて1000円(学割で)くらいだから、そっちでいい。


下に降りると
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世界各国の名所に行った気になれるパネルや

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本物の人かと思うような蝋人形など、シュールな展示があった。
このへんのシュールさは東京タワーもどっこい。
東京タワーにも蝋人形館あるしね。

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外に出ると、妙な雑技をする人たちのステージがやってた。

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下から眺めてる分にはカッコイイ。
というか不気味な感じのする建物だ。

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中国最後の夜。
二人並んで記念撮影。

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やっぱり不気味な建物だ。。。


21:00頃
上海タワーを後にして、晩ご飯に目星をつけておいた小龍包のお店に行くために地下鉄に乗ったものの、予想はしてたが、また無意味な規制による小龍包のお店最寄りの南京東路駅封鎖のため、断念。

人民広場の方に歩き、「新世界」というデパートに入ってみる。

玩具屋に行くと、そこにはさすがに正規品のガンプラが置いてあった。
けどその値段に愕然。
日本の1.5〜2倍位する。
Hi-νガンダムなんて1万円近くする。
誰が買うんだろう。。。

僕たちが興味津々で見ていると、店員さんが電卓を持って近づいてきて、値切らせてくれた。

デパートなのに

でも全然日本より高いから、スルー。


ふと横をみると、何やらカップルや若者の集団が。
SEGAの大型アトラクションで遊んでいた。

まさかのソニックとの対面。

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記念に撮っておきました。

デパートの玩具売り場にこんなものが併設されてあるなんて、なんてカオス。


その後、上海でやたら見かける、「日本のラーメン」を謳う「味千ラーメン」というラーメン屋に。
もとは熊本かどこかのラーメン屋さんだそうだけど、中国各地に展開している。

味千ラーメン

サイトを見てみたら中国だけじゃないんですね。

店員、めちゃくちゃいるのにほとんど全員で賄いを食べてて笑った。
ラストオーダーをとるや、すぐに店のシャッターを下ろし、電気を消す。
流石だ。もうこういうのは慣れたけどね。

あ、味は別にうまくなかったです。

22:00
終電終了なのか、国慶節規制なのか電車が走っておらず、またしてもタクシーで帰る。

またもやちょっとだけ日本語を喋れるおじさん運転手だったので少し会話。
どうやら東京に少しの間住んでいたらしい。

三国志が好きだ、と伝えると、曹操の発音の仕方を教えてくれた。
文字で発音を伝えるのは無理があるけれど、「そぅっ↑そぅ↑」と「そう」の後ろ側を上げるように発音するらしい。

運転手「そぅっ↑そぅ↑」
僕たち「そぅっ↑そぅ↑」
運転手「違う、そぅっ↑そぅ↑だ」
僕たち「そぅっ↑そぅ↑」
運転手「違う違うそぅっ↑そぅ↑だ」
僕たち「そぅっ↑そぅ↑」
運転手「違う違うそぅっ↑そぅ↑」

以下エンドレス。

中国語の発音って本当に難しい。。。

あと、誰が教えたのか、この運転手は
「バカ、マヌケ」
という言葉を連呼していた。
「マヌケ」
の意味は知らなかったらしい。意味を教えてあげたら爆笑してた。


人のいい運転手さんのおかげで宿まで退屈せずに戻ることが出来た。

宿について、バーで一杯。
今回の旅行の最後にツアータイトルを決める会議。
最終的に、ボブディランの「Like A Rolling Stone」と決まった。

バーのお姉ちゃんに中国語にしてもらうと「揺流石斗」ということだった。
字面も気に入ったのでこれに決定。

3:00
就寝。
とうとう中国も最後の夜。
いろいろあった10日間だったなあ。

このときは感慨に浸る間もなく眠りについたと思う。




【10月3日 水曜日 上海→仁川→成田 晴れ→雨→曇】

7:40
起床。シャワーを浴び、出発準備。

9:00
前日と同じ朝食。

10:00
ユースをチェックアウト。

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上海浦東国際空港までは、なんとリニアモーターカーが稼働していた。
なんてこった。

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リニアモーターカーと記念撮影。
僕は実は「愛知万博」でリニモに乗ったからリニアモーターカーは二度目。
ゆっきーは初めてだったのかな、テンション上がってた。

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車内。

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430Km/h越え。
最高時速431km/hを記録。
めっちゃ速い。
まあまあ静か。

11:00
空港着。
手荷物検査のところでオランダ人のおばちゃんに、何故かクソ多い荷物運びの手伝いをさせられる。
このおばちゃん、超自分勝手だった。
アジアの男は植民地の人間だと今でも思ってるのか?
まあ、ニコニコで対応したけど。
⊂二二二( ^ω^)二⊃ ブーン

何故か自分の手荷物とオランダ人のおばちゃんの手荷物の検査を受ける僕。

検査通過後、さらにおばちゃんは
「あなたもアムスに??」

行 く わ け ね え だ ろ 。

「日本に帰る」
と言うと、おばちゃんはろくに礼も言わずにアムス行きのゲートの方へ消えた。
なんなんだ。


そんなどさくさに紛れて、僕はケータイが無いことに気づく。
一瞬血の気が引いたけど、さっきの手荷物検査で受け取り忘れたんだ、と分かり、取りにもどる。
無事ありました。
あのオランダ人がいなけりゃこんなとこでドキドキしなくてもすんだのに。

ソファーに腰掛けて、自分の荷物を整理していると、一つしか無い紙袋の中身がいっぱいでなかなか整理できず。
まごまごしていると、横にいた韓国人のおばちゃんが、上手に整理してくれた。
いい人だ。やっぱりアジアだ。同朋だ。

免税店でお土産のタバコを買って、またソファーに戻り、さっきのおばちゃんにもう一度お礼を言おうとしたんだけれど、いっぱいいるおばちゃん、全員パンチパーマで見分けがつかず、断念(笑)
心の中で「カムサハムニダ」と言っておいた。

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13:00
大韓航空、搭乗。


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さようなら、上海、さようなら中国。

けど、また近いうちに来そうな、そんな予感がしていた。
また必ず行くんだと思う。

北京に着いたときは、本当に、「なんで来たんだろ」と思っていたけど、最後には名残惜しくなっていた。
いろいろと親切にしてくれたユースの人、現地の人。
旅先で会ったいろんな人。

たった10日だったけど、本当に濃い10日間だった。

きっと死ぬ時には走馬灯の1ページにでもなるんだろうなってそんな気がする。


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その後、飛行機は仁川を経由し、21:00、無事僕らを成田まで運んでくれた。

10日間の旅が僕たちを決定的に変えた、ということは全くない。けど、僕にとっては、小学校6年生のときに三国志に出会ってから、ずっと憧れていた中国、その地を踏み、歩いてきたことは素晴らしい経験で、それだけで意味がある。
大学生活を人より一年長く送って、やっと思い残すことがなくなった。
後悔すること無く、社会に出られる気がする。

卒業さえできれば。

溥儀の甥に書いてもらった「克勤」という言葉を胸に、これから頑張って行こうと思う(笑)






これで全10回にわたる中国旅行記、終了です。
ずーっと読んでくださった方。ありがとうございました。謝謝。
最初は、これから中国に行く人の参考になればなあとも思いながら書いてたんですが、グダグダになっちゃいました。すいません。


それではまた。
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by jai-guru-deva | 2007-11-18 04:09 | 今日知る旅行

中国旅行記 上海編。

ずいぶんと更新を怠ってました。
中国旅行の続きですよ。
行って帰ってもう1ヶ月。いまだにこのことについて書いてるって、遅すぎですよね。常考。


【10月1日 月曜日 上海 晴ときどき曇】

襄樊を出たのが前日の13:20
上海には6:30に到着。
実に17時間近く、バスに乗ってたわけです。

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朝、上海のバス停。
天気予報を覆し(この日は雨と予報されていた)、この日から始まる国慶節を祝うかのように晴れた。
北京から徐々に南下したけど、やっぱり少し蒸し暑くて、北京の気候とは全く違う。

バスを出ると、お決まりの、タクシーの勧誘。
自称タクシー運転手がやってきて、勧誘を受ける。
襄樊でのこともあったので、気を許して、乗ってしまう。

自称タクシードライバーのおっちゃんの案内されたタクシーは、黒塗りの普通車。
確実にタクシーではなかった。。。

とりあえず、最寄りの駅まで行ってもらって出来るだけ早く降りようと思ってると、途中、運転手が携帯で何やら会話。何の説明もなく、道の真ん中に停車。

うわー。仲間でも呼ばれてフルボッッコにされてお金巻き上げられるのか??
と二人でそわそわ。。。

しばらく待っていると、妙な女がやってきて、助手席に乗り込んで来た。
この女を待っていたようだ。
こと無きを得て、一息。

とはいえちょっとボッたくられた。

とりあえず、地下鉄で中心の方へ行ってユースでも探そう、と人民広場駅周辺へ。

しかし。

ユースがない

いや、ユース自体はあるんです。
しかし上海。

国慶節の影響もあってかどこも満員。

朝の7時くらいから、うろうろうろうろ。
2時間くらい歩き回るも見つからず、疲労もあってイライライラ。。。
お互いイラついてるのが分かる。

とりあえず、マクドナルドに入り、休憩をとり、対策を練ることに。
ゆっきーが西安でチェックしていたユースが郊外にあったので、そこに行ってみよう、と決着。

泊まる宿が決まらない不安の中、到着したそのユースも、満員。。。

けれどもそこのユースには系列があるらしく、そこに車で送ってくれるという。有り難い話。

10:30
2泊分でチェックイン。
ようやく落ち着いて、シャワーに入り、スッキリ。
その後町を散策。

12:00
町の食堂でお昼ご飯。

13:00
ホテルに帰って、さすがに疲れてたので二時間ほど昼寝。

16:00
再び中心街へ。

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朝とうってかわってもの凄い人。
国慶節で、町中がお祭り。

外灘(昔の租界地。上海タワーを臨む岸辺の街)まで歩く。

その途中で。。。

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ミッキーの偽物出たーーーー☆

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Tom's World
下のウインドウの中にはちゃんとディズニーのシンデレラ(?)が。
ディズニーさん、上海の真ん中に偽ネズミがいましたよ。

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国を挙げてのお祭りの日。
人民解放軍も公安も、もの凄い動員数で警備。
基本的に公安が街を巡回していて、軍はこうして整列してるだけ。ピクリとも動かない。

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やっぱり上海は街だ。
工事の量も半端じゃなくて、いたるところで工事工事工事。
誰かが、上海は1年で、建物はもちろん、道まで変わってしまう、と言ってたけど、大袈裟じゃなく、きっと本当なんだと思った。

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ユニクロもありました。
輸入品だから日本よりもかなり高い。
チープな感じは全くなかった。

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上海タワーが見えてきた。
テンション上がるー。

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外灘。人がいっぱい溜まっていたので、こりゃ、上海タワーをバックに花火でもあげるのだな、と勝手に解釈して、道に座り込む。

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暇なので上海タワーを撮りまくる。

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この時点で17:00
19:00くらいまで何も無かったご飯食べに行こう、と決めて座り込む。

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こんな風に三脚立てて座ってるものだから、中国人の家族連れに、
「なんかあんの?」
みたいなことを聞かれた。

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19:00を迎えて、ライトアップが始まり、綺麗なんだけど、結局何も起きず。

なので、予定通り、ご飯に。
最後の街なので、余ったお金で美味しいもの食べよう!と決めていて、歩き方に載っていた、高級店に行く。

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豫園(明代の庭園)近辺。
観光地として栄えるこの街は、夜になると、屋根に張り巡らされたライトやらネオンやらでピカピカ。

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この辺りをウロウロしてると、すぐに、
「トケイ、カバン、トケイ、カバン」
と妙な日本語が聞こえてくる。
怪しい時計屋、鞄屋がいっぱいあって、東洋系の観光客と見るやこう声をかけているのだ。
よっぽど日本人がこういうところで買って行くんだろう。。。

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お茶屋さんかなにかの前で。
急須が浮いてるー!!
と二人して大はしゃぎしたので、記念撮影。

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僕たちはここのレストランで食事。
クリントン元米大統領夫妻や、カストロ議長など、要人たちも来たというレストラン。
緊張しまくる。

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もう時間が遅いのか、結構ガラガラ。

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テンパりすぎて醤油をこぼす。

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上海蟹。

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小龍包。

この他、焼きそばを食べて、ビールで乾杯。

全部美味しくて、死ぬほど食べた。
全部で320元(5120円)。
高いと言っても二人で割れば、いつもの飲み会の予算くらいだ。

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ご飯を食べて、この日はホテルへ。

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地下鉄に乗ろうとするも、主要駅が混雑緩和のためかどうか分からないけれど、何故か封鎖。
結構意味の分からない交通規制ばかりでちょっとイラッとくる。

結局、面倒なのでタクシーでホテルへ。
タクシーの運転手さんは少しだけ(本当に少しだけ)、日本語を喋ることが出来た。

22:00
ホテル着。
23:00
バーでビールを飲みつつ、サッカーゲームをして
2:00
就寝。

次の日の目標は上海タワーに登ること。
ではまた。
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by jai-guru-deva | 2007-11-16 03:09 | 今日知る旅行

中国旅行記 襄樊編。

【9月30日 日曜日 襄樊 小雨】

※10/31追記。

19:00に乗り込んだ長距離バス。
発車してすぐに最寄りのガソリンスタンドへ。
襄樊ー上海間でもそうだったけど、どうやらあらかじめガソリンを入れておくということはしないらしい。ガソリンを入れてる途中、ガソリンスタンドのトイレを使ってトイレ休憩も兼ねている。

車内にはテレビがあり、歌番組やら、映画やらが爆音で流れる。
寝台なんだから、もうちょい音をおとしていただきたい。

とか思ってたら、それでも疲れてたのか、うとうと。
深い眠りに落ちることはなかったから車が大きく揺れるたびに目が覚める。
いつの間にかテレビは消えていた。

00:30
山の中のボロい飯屋で強制的に休憩をとらされる。
全員、寝ている人も起こされてバスを降ろされる。

どのくらい停車するのか分からなかったからとりあえず、一緒に乗ってた人に張り付いて様子を窺う。

カップラーメンを買って食べだす人、店の料理を食べる人、とどうやら余裕がありそうだ。
とりあえず、一服。。。

トイレはこの旅で最も悲惨なことになってて面白かった。

結局1時間ほど休憩してまたバスに乗り、うとうと。
やたらと夢を見た。それも眠りが浅いからだろう。
こんな夢。
両親が登場して、モンゴル(今回の旅は、当初モンゴルに行こうと思って企画されたものだったけど、紆余曲折を経て中国だけになった。なのでどこかに未練があったのかも)まで車で送ってもらった。
「1泊してからかえるわ」
と僕が言うと
「1泊と言わず、何泊かしてくりゃええがな」
と父。
場面が変わって、伯母に、僕のブログが重すぎると言われ、祖母とも話をする。。。
という内容。

親戚総出。
ホームシックなのかな?

そんな夢が覚めた頃、ちょうどバスが止まる。
何人かの人がバスを降りて行く。
まさか襄樊?
と思って運転手さんにチケットを見せて確認すると、その通り、到着らしい。

外はまだ真っ暗。
時間はまだ4:30をすこし過ぎたくらいだった。

僕はゆっきーに目配せをして、着いたらしいことを伝え、下車。

ゆっきーはここで車内に眼鏡を失くしてしまう。
再度、探しに戻ったものの、眼鏡は見つからず、バスは次の目的地へと去ってしまった。

降ろされた場所は、バイパス道路のようなところ。
道以外、建物が見当たらず街のような雰囲気はない。

下車した客にはタクシーの運転手が寄ってきていて、各々タクシーに乗って何処かへ消えて行く。
僕たちはこの旅でまだタクシーを使ったことがないので、もの凄くタクシーを警戒していた。
降りてからずーっとタクシーの運ちゃんがくっついていたが、とりあえず、現在地を教えてもらい、自力で歩けるなら歩こう、と決めた。
ところが、タクシーの運ちゃんに地図を見てもらうと、どうやら市街からかなり離れているらしかった。
なのでその運ちゃんのタクシーに乗る。

襄樊駅へ。

バスを降りた場所からタクシーで30分。
襄樊駅に到着。
いくらだったか忘れたけど、安かったから正規の値段だったんだと思う。

それが早朝5:00。

早速切符売り場へ。
上海への切符をとるためだ。
襄樊では一泊もしないつもりだったので、その日の切符を見ても、全くない。
次の日も無し。

こりゃ、またバスだな、とバスターミナルがあくまで、駅の食堂で朝ご飯。

バスターミナルへ行ってチケットをとる。あっさりとれる。
ただし、出発はこの日の13:20。
強行で襄樊を巡り、バスに乗って上海へで最後の3日間を過ごそうという計画。

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駅に戻り、記念撮影。

さて、襄樊。
漢江を境にして、北側が樊城、南側が襄陽、という二つの街が合併して出来た都市だ。樊城の方は、長距離列車が止まる駅(上の写真がそう)があり、高層ビルなんかも建つ商業地。対して襄陽は、明代の城壁に囲まれ、清代の風景を残す情緒溢れる街。

何故僕がここに来たかったかと言うと、樊城も襄陽もともに三国志の舞台であるからだ。
襄陽は、後漢末期、荊州刺史(地方長官)劉表の本拠地で、漢江の水運から古来より交通、流通の要衝として栄えてきた。
三国時代だけでなく、中国史において幾度と無くその表舞台に立つ重要な街なのである。
一時期劉備一行も劉表の庇護下にいたこともあった。
赤壁の戦いの直前期である。

劉表と劉備。
この襄陽近くの壇溪という渓谷で面白いエピソードがあります。
劉備はある時、山賊を討伐し一頭の馬を奪った。見れば見るほど名馬なのでそれを、日々の恩返しにと劉表に譲った。
しかしすぐに、

「こういう名馬は君のような英雄にこそ相応しい。私にはとうてい乗りこなせまい」

と返されてしまう。
実は、その馬は額に白い模様を持っていて、そうした馬は持ち主に不幸をもたらすとして中国ではそういう相を持った馬を「的廬(てきろ)」と呼んで、忌み嫌ってきた。劉表は部下の進言でそれに気づいて、劉備に返したのだった。
そんなこととは知らず、乗って帰る劉備。
そこに劉備シンパの劉表の部下、伊籍がやってきて、その馬のことについて教え、的廬を捨てるように勧めた。
しかし劉備は

「私の運命は天によって決められている。一頭の馬ごときに決められるはずもない」

と一笑にふした。

その後、劉表が死に、家督相続の混乱の最中、曹操の圧迫によって曹操軍の軍門に降った旧劉表軍。
劉備を捕えんとする曹操軍に壇溪という渓谷に追いつめられ、絶体絶命の劉備。そこで劉備は的廬に向かって

「お前の悪評を取り払うときがきたぞ!」

と叫ぶや、谷に向かってジャンプ。

的廬は一度は川に飲み込まれそうになるも、跳ね上がり、見事、劉備の命を救ったのだった。
それ以後、的廬は劉備の愛馬となっている。



これは三国志演義に入っているエピソードで、多分に創作のニオイがするけど、この壇溪、現在も残っているという。
今回は時間の関係で行けなかったけど。

また、樊城は、魏の名将曹仁が守った城で、関羽がこれを包囲し、荊州攻防戦の一大戦地になった。
だけど、樊城の方には昔の面影は一切無い。

では、他に何があるのか。


襄陽の南西に隆中という山があった。
天下には「臥龍(眠れる龍)」と「鳳雛(鳳凰の雛)」という二人の賢者がいて、いずれか一方でも得ることが出来たら、天下をとれると言われた逸材が潜んでいるという。

隆中には「臥龍」と呼ばれる人物が晴耕雨読の生活を送りながら隠棲しているという。

折しも劉表に匿われていた劉備がこの話を聞きつけ、自ら、関羽、張飛の2人を引き連れ「臥龍」と会うため、隆中の山中まで出かけて行った。
しかし1度目は留守。
2回目は同居する弟がいたものの、「臥龍」はまたも留守。

3度目。
とうとう「臥龍」は劉備の前に姿を現す。
劉備は自らの漢王朝復興を願う真摯な志を語り、「臥龍」の心を揺り動かす。
「臥龍」は天下を北方を曹操の「魏」、南方を孫権の「呉」、そして荊州を足がかりとして空いた西側、つまり益州を中心とする「蜀」との3つに分け、鼎のように力を分散させる「天下三分の計」を説く。
そしてそのために、劉備の下で働くことを決意した「臥龍」はとうとう隆中の庵を畳み、出淵を決意する。

このことが後に「三顧の礼」と呼ばれ、この時「臥龍」と呼ばれていた人物こそ、蜀漢の丞相、諸葛亮孔明なのだった。



ちなみに。
「鳳雛」と呼ばれた龐統という軍師も後に劉備軍に入ってますが、結局天下はとれませんでしたね。。。

まあながながと書いたものですが、そんな諸葛亮が劉備と出会うまで10年間暮らしていた隆中。
行かざるを得ないわけですよ、僕としては。

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7:30
古隆中行きのバスに乗る。
一時間後。

古隆中着。


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バイクタクシーなんかがいっぱいいるけど無視して歩く(バス停から歩いて10分弱です)。

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隆中まではこんなのどかな一本道。
孔明がいた頃を想像するのも難しくない。

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何屋さんなんだろ。



料金所でチケットを買い、いよいよ隆中に入る。

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ゲートをくぐるとすぐに「古隆中」の文字でお出迎え。

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こうした、古隆中に残る建物はほとんどは清代のものだそう。
あ、もちろん三国時代のものなんて何も残ってないですよ。

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もともとが山なのでこうした石段がいたるところに。

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この石段を登り終えると、「三顧堂」に到着。
三顧の礼を記念する建物。


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壁画は、三顧の礼の場面を描いていた。

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劉備(左)に「天下三分の計」を説く諸葛亮(右)

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外で待つ関羽と張飛(笑)


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草庵があったという場所には、庵を復元してあった。

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この家で孔明は、17歳から27歳までの間、晴れた日は畑を耕し、雨の日は読書をして過ごすという晴耕雨読の生活を送ってきたという。

そして自分が仕えるべき大人物の出現を待っていた。

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こうやって膝を抱えながら。


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現在庵が建っている場所とはちょっと離れた場所にこのような碑があった。


さて。
ここ古隆中はとても広い。
ふと森の奥を見ると、山の斜面に沿って階段が続いていた。

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濃くかかった霧が、とても幻想的で、いまにも孔明が「你好」とか言って出てきそうだった。
孔明が三顧の礼に応じて、劉備に仕官したのが西暦で208年のことだから、ほとんどちょうど1800年前のことになる。
1800年前、諸葛亮がここで、同じように霧のかかった風景を見ながら悠々自適の暮らしをしていたことを想像しながら登る。

しかし
登れども登れども、先は見えない。
上に何があるのかも分からないけれど、一度登りかけたから、途中で降りるのは癪だ、と登りつづける。。。
なんか中国に来てから登山みたいなことばっかやってるなー。
とか話していると。。。




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なんかすごい塔出たー☆

頂上にはどでかい塔。

この時点でまだ9:00。
この中は一階が食堂になっていて、それより上は、人形を使った孔明の一代記説明展示になっていた。

店の人はいるにはいるんだが、朝早いため、やる気はない。
僕たちが入っても新聞をよんだまま知らんぷり。

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入り口に掲げられた孔明の絵と彼にまつわるエピソード。

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この濃い霧で、当然視界はゼロ。
けど晴れてたらきっとかなり遠くまで見渡せるんだろうなあ。
襄陽の街でも一望できるんだろうか。

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高いです。
山をかなり登った上にこのデカさの塔の上ですからね。
具体的な山の標高とか塔の高さとかはわからないけど、相当高いのは分かる。



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塔を降り、山を降る。。。


三顧堂まで降りると、そろそろ10:00をまわる頃ということで観光客も増え始めてきた。

と。

僕はまた、見てしまったのだ。

そう



(;´Д`)コスプレ



僕たちが始めここを覗いた時には何も無かったのに、客が来始めて店開きしたようだ。


どうしても諸葛亮になりたい。

これが同一化欲求というやつか。
その欲求は僕を簡単に取り込んでしまいました。

というわけで。。。

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やっちゃった。。。


うーん。でも関羽の時よりかは、自分には合ってるんじゃないか。
やっぱり文官タイプですね、僕は。うんうん。
諸葛亮かと言われれば微妙ですが。

白い服に頭巾のが諸葛亮ぽいと思うんだけどなあ。
あーこういうコスプレのコーディネーターになりてえ(歴史物限定)。

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東南の風を呼ぶ孔明ごっこ。

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ちなみにこの手に持ってる扇。
孔明のシンボルですが、古隆中入り口にある売店で10元だったので僕の分ともう一人誰かさんへのお土産として買ってきたんですが、現在のところ誰ももらってくれません(笑)
誰か、孔明ファンの方、もらってください。マジで。捨ててしまいそうです。

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ゆっきーと一緒に。
お店のおばちゃんが撮ってくれた。

これだけ遊べて、なんと

10元(約160円)

関羽コスプレは49元したのに対し、これは安い。
びっくりした。

あらかた満足したので帰る。


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バス停まで戻ると、市場の準備をしていた。

古隆中の次の目当ては、襄陽城城壁。

バスで西門へ。
古隆中付近は大学がいっぱい。
やっぱり孔明にあやかりたいからか。

11:30
西門下車。

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門とは言っても、今は門は無くて道路になっている。

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ひび割れ、「危険」と書かれている。
こういった老朽具合がたまらない。

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登る。
北門に登るにはお金がかかるけど、西門はタダ。
市民の散歩道にもなっているようで現地の人たちも何人かブラブラ城壁の上を歩いていた。

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城壁を北に向かって歩く。
右(東)側は城壁内の街が続く。
左(西)側は漢江が流れる。

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襄陽城北門。

3元払って登る。

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宋代、明代、清代、中華民国と時代時代の城壁の煉瓦を展示。

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城壁から漢江を見る。

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人形の兵士が城壁を守っていた。



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城壁内は、北門街といって襄陽で最も栄えている通り。
街の中央にある鐘楼までずっと続く。


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城壁を降り、下に行ってみることに。

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北門。

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北門街。
とても栄えていて活気に溢れていた。
清代の町並みをよく残しているそうだ。

特に面白かったのが、玩具屋。
ガンプラの精巧な偽物を発見。
僕が就活中、バンダイを受験した時、説明会で法務部の社員さんが中国で出回っている偽物ガンプラについて教えてもらった。
その時、その社員さんが持ってきていた偽物、それと全く同じヤツ。

まず、パッケージ。
ぱっと見、本物のガンプラと遜色ない。3Dの絵もばっちりキマっている。
マスターグレードとも書いてある。
バンダイのロゴまでほとんど同じ。
「日本的最高技術」
的なことも書いてあった。
値段も日本で買うマスターグレードとほとんど一緒。
高い。
もうちょっと安ければネタにでも、と買おうとしたけどやめておいた。

ちなみに、この次訪れる上海では、正規品を見かけたが、値段は日本のものの1.5倍〜2倍近かった。一体誰が買うのだろうか。。。

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街の中心にある鐘楼。

この近くのマクドナルドで昼食。

既に12:30を過ぎていて、バスの時間を間違えていたことに気づき、ハンバーガーを受け取るや、タクシーをつかまえ、襄樊駅へ。

13:00
なんとかバス停に着き、自分たちのバスを探して乗り込む。

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今回は一番後ろ。
バックパックも下に積んでくれたから楽。

13:20
出発。
襄樊滞在わずか8時間。

これから最後の都市、上海へ。

一体何時間かかるのやら。。。

ではまた。
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by jai-guru-deva | 2007-10-29 23:58 | 今日知る旅行

中国旅行記 西安編その3。


【9月29日 土曜日 西安 小雨】

9:00頃起床。
10:00頃、ユースを出る。
ユースのおじいちゃんが本当いい人で、とても親切にして頂いた。

襄樊へのバスの切符を買いにバスターミナルへ。
19:00発のバスを予約。

バスは結構容易くとれることが分かる。

バスをとって、襄樊までのルートは確保したので、西安最後の日、観光に出発。

この日のメインは西遊記でおなじみ、三蔵法師こと玄奘のゆかりの寺、慈恩寺、大雁塔。

慈恩寺というお寺は唐の第三代高宗が、亡くなった自分の母親の菩提を弔うためにその慈恩を追慕するという目的で648年に建てられました。
現在のものは唐代末期の戦乱の影響なんかで当時の規模の10分の1程度になってしまってます。

シルクロードを通って西域を歴訪し、インドに遊学した三蔵法師玄奘(このときの話をモティーフにしたのが西遊記ですね)は、帰国後、慈恩寺を素晴らしい寺だとしてここの境内に塔を築き、インドから持ち帰った仏典、仏像などの保管にあてたいと、高宗に申し出ました。
その願いが聞き入れられると、玄奘はインドの卒塔婆(ストゥーパ)を真似た5層の塔を建立しました。これが大雁塔で、652年のことです。

玄奘は塔に仏典、仏像を納め、自身もこの寺で11もの間、持ち帰った経典の翻訳作業を行いました。


大雁塔に通じる道沿いは電気街みたいになっていて、家電量販店なんかがあったので面白そうだから降りてみることに。


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こんなところでも兵馬俑は大活躍。
胸の部分がモニターになってます。

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中国でもやっぱりiPodは人気なのか。。。。
ん?
なんか違う。。

これ、もの凄いパクリ具合。
ボタンがちょっと違うだけで、あとは画面から配色からなにから全部瓜二つ。
黒ヴァージョンもありました。
大売り出しされてましたよ(笑)


家電量販店を出て、またブラブラしてると、怪しい個人経営のゲーム屋を発見。
覗いてみる。

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いつのか分からんソニックなんかもいた。

プレステやスーファミで発売されたはずのもが一緒くたになってPC用ソフトになって売られていたり。どうやってるんだろ。

あと、コーエーのPC版三国志11(現時点での最新版)が置いてあり、なんと

69元(およそ1100円)

コーエー製品は高値で有名で、日本で買おうものなら、中古でも6000円はする。パワーアップキットという拡張版がついてたら8000円は下らない。

偽物臭もプンプンするので、迷った挙げ句、やめておいた。
このときは。
このときは、ね。


いろいろと油を売って歩いていたため、大雁塔に着いた時にはもう13:30になっていた。

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玄奘と。後ろに見える塔が大雁塔。

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塔は建立当時は5層でしたが、現在は7層。
これはどういうことかというと
一度、則天武后が10層に大改築をして、その後戦乱で7層から上が崩壊してしまったようなのです。

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中へ。
ちなみにここでも学割に成功しました。

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こう螺旋状になった階段を上っていきます。
内部は完全に改築してますね。

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塔の3層目位から。
伽藍の配置がよく分かります。


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最上階からは西安市街が見えるはずなのですが、生憎の雨のため、視界不良。


大雁塔を降りて、陜西省歴史博物館へ。

その前に。

やっぱり「三国志11」が気になって、またゲーム屋さんに戻ることに(笑)

結局。
三国志11購入。
さらに、中国のオリジナルの「三国英雄伝6」というシミュレーションゲームも購入(59元)

近くのファーストフード店に入り、ゲームを開封。

なんと。

どちらも完全オフィシャル品でした。

万歳。
てっきり偽者だろうな、と思ってたけど正規品でうれしい。
三国英雄伝の顔グラ(武将の顔のグラフィック)がコーエーのものと瓜二つで爆笑。

自分たちへのいい土産になりました。
あ、もちろん全部中文です。

実際に三国志の方はやってみたけど、良い雰囲気でしたよ。
コマンドは何となく分かるし
途中のイベントも三国志を知ってれば、何をやっているのかも理解できる。
もちろん詳しい台詞の内容までは分からないけど。


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陜西歴史博物館。
ここでは学割失敗。基準がわからんぞ。
陜西省の歴史を石器時代から、発掘された文化財をもとに展示してありました。
B.C.5000年くらいにはもう鼎型の土器なんかが出来てて面白かった。

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見学を終え、出ようとすると、解放軍がやってきて、国旗掲揚を始めだした。
いつものことなのか、国慶節が近いからか、どっちなんでしょう。

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去って行く人民解放軍。
見た感じ、まだあどけなさが残っていて僕たちよりも若く見えた。


見終えて、外に出てみればもう17:00。
空海が密教の修行をし、それを伝授された寺、青龍寺にも行ってみたかったけど、時間的に厳しいということで、バスに乗り、バスターミナルへ戻ることに。
空海と西安についてはこのサイトが面白かった。
西安点描

18:30結構ぎりぎりでバス停到着。
バスも荷物検査があるはずなのだが、荷物を通す機械だけあって、検査はしてなかった。
待ち合い室に行っても一向に案内はなく、自分たちでバスがいっぱい停まってる駐車に出てみた。
バスのフロントガラスに行き先が書いてあるので、それを見て襄樊行きを探す。
ようやく見つけて、乗り込む。
その狭さに唖然。
普通のバスに二段ベッドが3列。
一人分のベッドの広さは、縦が約1畳横が2/3畳といったところか。
寝返りすらうてない。

襄樊までおよそ9時間。
しかも襄樊は途中駅。寝過ごすと大変だ。気が抜けない。

次回は、バス車内の様子〜襄樊、古隆中諸葛亮孔明の庵、襄陽城です。
ではまた。
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by jai-guru-deva | 2007-10-25 20:51 | 今日知る旅行

中国旅行記 西安編その2。

【9月28日 金曜日 西安 小雨】

結局韓国の彼と午前3時まで話し込み、そのまま部屋に彼を泊めて、この日は朝8時頃に起床。

近くのレストランで彼と一緒に朝食をとることにしました。
僕たちがこの日は兵馬俑や始皇帝陵に行くと言うと、彼は前日に行ってきたらしく、バス停とかいろいろ親切に教えてくれました。
彼はこの日は例のネットで知り合った女性と華山(洛陽と西安の間にある)に行くとのこと。
彼に別れを告げ、僕たちはまず、目星をつけていたもうひとつのユース(緑島ユースの系列店)へ移動しました。

緑島ユースは西安の城壁内、北東に位置していて、駅直近でした。
対して今度のユースは城壁内南。南門にほぼ隣接し、繁華街に近いところに位置します。

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城壁に面していました。

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外観はこんな感じ。

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中の様子は伝統的な中国の家屋といった感じで、雰囲気ありました。

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夜はこんな感じでね。

ここのフロントのおじいちゃんがすごくいい人だったなあ。

宿をとって、バスターミナルは北の駅の方にあるからまた戻り、華清池、始皇帝陵、兵馬俑の三大観光地をまわるバスに乗り込みます。


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城門から出たバスから。
雨が降っていて、写り悪いですが。
城壁に囲まれた街ってやっぱり雰囲気ありますね。

城壁の外は田舎なのかなと思ってたけど、どうやら違って、むしろ城壁の外のが開けてる。

途中高速道路らしきところを通りながら、どのくらいかな、1時間30分ほどかな。
華清池を過ぎ、始皇帝陵がバスの窓から見えてきて、やがて兵馬俑に到着。
さすがは兵馬俑。駐車場からして広い。

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そんな駐車場で、始皇帝御自らがお出迎え。

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入場ゲート。
チケットを買ってこのゲートを通るんですが、ここ、自動改札になってて、慣れない中国人たちはおろおろ。
自動改札という文明の力が逆効果。渋滞になってしまってました。

兵馬俑のメインはもちろん1号抗、2号抗、3号抗と分けられた発掘現場。
特に有名で誰もが観たことがあるのは1号抗内部。

楽しみは後にとっておいて、とりあえず併設されている博物館へ。
出土品のレプリカやらがずらり。

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こうしたレプリカ展示室、兵馬俑博物館の歴史、そして中国っぽいのが、ここを訪れた共産党の偉人たちについての展示。

博物館自体はとても綺麗でした。
まああれだけ高い入場料(80元くらいだったかな)をとってるんだからそりゃ当然だ。


で、いよいよ1号抗へ。

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でっかい体育館みたいなところに、なんかもうこんな。
整然と並んだ近衛兵。
秦代の軍隊がそのまま目の前にいる。。。
これってSFですよ。

しかしこの感じ、何か見たことあるなー。

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んー??

こ、これは

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まるで

UBC-jam

みたい。

UBC-jamとは、僕が以前所属していた、大学のサークルで、毎年学園祭で無料ライブイベントを企画運営しています。
今年も後輩たちが頑張っているので、興味を持ったら行ってみましょう。
以下詳細。

イベント名 UBC-jam vol.21

日程   2007年11月3日(土)
      開場 14:00  開演 15:00
      終了時刻は未定ですが、例年19:00頃です。

場所   早稲田大学戸山キャンパス内 記念会堂
      162-8644 新宿区戸山1-24-1

アクセス ◇JR山手線 (高田馬場駅 徒歩20分)
      ◇西武新宿線 (高田馬場駅 徒歩20分)
      ◇東京メトロ東西線 (早稲田駅 徒歩3分)
      ◇都営バス(高田馬場駅 - 早大正門、馬場下町下車徒歩1分)

出演 SCOOBIE DO
    SPECIAL OTHERS
    ホフディラン
    HALCALI
    SOIL"&"PIMP"SESSIONS 
    (アクト順ではありません)

形式 入場無料のライブイベント


11月3日、4日に行われる早稲田祭の中でのイベントです。
これらアーティストのライブが無料で観られるので、もし興味があったらいかがでしょうか。
このUBC-jamだけではなく、当日は早稲田祭ということでいろんな出し物がいろんなとこでやってるのでそれを見て回るのも面白いかも。

早稲田大学UBC ホームページ
早稲田祭2007 ホームページ


うまーく宣伝してあげたところで(このブログの宣伝効果なんて甚だ疑問)、兵馬俑に戻ります。


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整然と並んだこの兵隊たちは全員、東を向いています。
というのも、秦は中国の西側(益州あたり)で勃興し全土を統一して行ったのですが、東側にまだ敵が残っていたため、その敵国を警戒しているのだそうです。

兵馬俑はこの辺りの農夫が井戸を掘ろうとした際、2、3mほど掘ったところで妙な陶器の破片にあたり、それを考古学者が鑑定し、発掘したところ、見つかったというのは有名な話で、「史記」などの記述を照らし合わせて、どうやらこれが始皇帝の死後の近衛兵隊なのだ、ということになったそうです。
それが1974年のことだからまだたった33年前の話なんですよね。
それまで2200年くらいずーーーーっと土の下にいてその上は農村になっていたんだから凄い。
ちなみにこの、兵馬俑を掘り当てた農夫、現在、この博物館の名誉副館長になっているそうです。それもすごい話だ。

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発掘されただけでも約7000体という兵士たちはその顔が一人一人違う顔を持っているというのも有名な話。
そしてリアル。
今の中国人にそっくりな人たちもいれば、地域柄、少し西域を思わせるような顔立ちのものもいる。
それぞれ本物の兵士を実際にスケッチしながら造られたという話もあるけど、頷ける。
彼らの平均身長は180cmと現在の我々よりも大きい。
これはさすがに少しだけ誇張して造ってあるのだろうか。はたまた秦の兵士は本当にそれだけ背が高かったのか。
多分前者なんだろうなあ。
今の感覚だったらそんなちょっとだけ大きくしてなんの意味があるの??と思うけど、おそらく当時の人々の平均身長からすればかなり大きく造ってあるはず。当時の人からみれば180cmという身長だけでも随分威圧感があったんじゃないか。

この兵馬俑が見つかる前から、この辺りの農村では数々の兵馬俑を思わせる言い伝えが残っているそうで、例えば、現在の1号抗付近は何故か地下水がすぐに枯れてしまうから、地下に怪物が棲んでいるんだとか、このあたりは明代の末から清代の初めにかけては墓地だったことがあって、そのころ地下から怪物が出たという話なんてことが挙げられる。

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兵馬俑は、全部が全部きちんとした姿で発見されるわけではなく、ほとんどがこんな感じでぐちゃぐちゃになって見つかるそうです。
兵馬俑を埋める際、兵隊の横の土壁の上に丸太を渡してその上にゴザを敷いて土をかぶせたんだそうなんだけど、この丸太がいけなかったんですな(といってもしょうがないけど)。木だから腐ってしまってその上の土がドサーっと。
兵隊圧死。
ということになって上の写真のようになって発掘されるということです。

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1号抗の一番奥には現在修復中の兵馬俑たちがいました。
1号抗内では現在も発掘調査が行われているようです。
このあと紹介する2号抗、3号抗では試掘といって一度掘り起こし、調査を終えたら保護の為にまた埋め戻すという作業をしているようです。

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兵馬俑たちは現在でこそこのような姿ですが、本来はカラフルに彩色が施されてありました。そしてそれは発掘された当初はほとんど残っていたのです。
しかし2200年もの間、土の中にいた兵馬俑が突然外界の光を浴びることによってみるみるうちに彩色は剥げて、このような姿になっているとのこと。
兵馬俑はこの1号抗、2号抗、3号抗以外にも始皇帝陵を中心としてこのあたり一帯に確実に存在するのですが、発掘することによって上記のようなダメージを与えてしまうため、確実な保護技術が確立するまでは掘り起こさない方針をとっています。

1号抗から出て、2号抗、3号抗、と見学。
1号抗以外は写真撮影厳禁、てことを「地球の歩き方」や他のブログなんかでみたんだけど、みんな撮りまくりでした。

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2、3号抗はこのようにほとんどが土に埋もれた俑でした。
整然と並んでるものもカッコイイけれど、こちらのほうが2200年という時の流れを感じることが出来るのも事実。

さて兵馬俑を後にして、始皇帝陵へ。

バスで行くか歩いて行くか迷った挙げ句、歩いて行くことに。
兵馬俑ー始皇帝陵間およそ1.2kmということで歩けない距離じゃないけど遠かった。
バスで通ったとき、こんな遠かったっけ?
道ばたではずーーーーっとザクロを売っている人たちがいた。
全員ザクロ。
他の店と差別化をはかる気がない。
売ってる人が綺麗なお姉さんなら買うのにね。とか言ってた矢先、おそらく部活に行く女子高生っぽい女の子を発見。服はおそらく学校のジャージ。髪は黒くて長くシャンプーのCMみたい。アジエンスとかのCMに出てそう。

今回の旅での美人さんNo.1でした。

しかし本当、西安は美人が多いです。

元気になった僕らはその後も歩きつづけ、とうとう始皇帝陵が見えてきました。

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始皇帝陵に入る時、早稲田大学の学生証で学割を試してみたら、なんと学割に成功しました。
ちなみに北京の紫禁城では失敗しています。
どうやら窓口の人によるっぽいので学生ならばチケットを買う時とりあえず学生証を見せることをオススメします。半額になるのは大きい。

さて。
始皇帝陵。

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お山に登れるんですが、なにも考えずに登ってしまえば、なんの変哲も無い山です。(案外高いけど)
しかし、始皇帝陵はそんなただの山なんかじゃない。

始皇帝は13歳で即位してから驪山で自分の墓の修築を始め、全国統一を果たした後はさらに各地から10万人以上を徴用して、50歳で死去するまで墓の修築を37年間続けたということですから、この陵墓はなんと37年もの歳月がかかっているんです。
けど、こんな山造るのにそんな時間かかんの?と思うけれど、もちろんこんな山のためにそんな歳月をかけたりはしません。
地下宮殿です。

始皇帝陵内部の仕切りと構造は秦の都咸陽(西安から少し西へ行ったところにある)とそっくりだそうで、咸陽を真似て建造されたものだといいます。
始皇帝陵の本体と周辺の副葬地区は66.25平方kmにもなるというからその大きさは圧倒的。それはなんと現在の西安の都市面積の2倍近くになるのです。

そんなものがこの地下にあるわけですよ。
さっきの兵馬俑もその一環に過ぎない。

そんな地下宮殿の内部の様子は司馬遷の「史記」が詳しい。
その内容を要約すると


珍宝が沢山置かれている。
窃盗を防止するための自動発射できる弓の仕掛けがある。
墓室の天井には星辰に当たる宝石と真珠が飾られている。
地面には中国の五大名山など地形の模型が置かれ、その溝には河川と海洋を象徴する水銀が流れており、黄金で作った雉が浮かんでいる。
墓室には鯨の油を燃料とする「長明灯」が長年燃え続けている。
墓室の周りは大規模な兵馬俑の群れに囲まれている。


これらのことは長年ただの伝説と思われていて、司馬遷もただのホラ吹きくらいにしか思われてなかったようですが、実際に兵馬俑が出てきたから大変。
「史記」の記述が実は本当なのかも知れない、と思われるようになって、とうとう地上からの調査も行われました。

すると多量のまとまった水銀と、蒸発によって飛散した水銀、さらに地下宮殿を思わせる広大な空間が確かに存在するということがわかったのです。
ますます「史記」の信憑性が増しました。

さらに、盗掘をしたあともあったようですが地下宮殿には達していないということで、内部はほぼ完璧に保存されていることが予想されています。

始皇帝が死ぬと、ここに葬られましたが、地下宮殿内部の機密の漏洩防止のために、墓を造った職人たちも埋められてしまいました。


「漢書」と「水経注」という書物には始皇帝陵は、項羽によって暴かれ、消失したと伝えられていますが、「史記」にはそんな記述は存在しません。
「史記」は始皇帝陵建設後約100年後に編まれてあり、「漢書」はおよそ300年後、「水経注」にいたっては600年も後のことなのでその信憑性は疑われています。
僕の予想では、「漢書」で漢建国の祖、劉邦の敵項羽をことさらに暴虐に見せるために作った話で、「水経注」はその「漢書」を基に話を構成したんじゃないかな。どうだろう。

始皇帝陵は、兵馬俑と同じ理由(発掘後の保存技術が未発達)で内部の発掘はできていません。
外側から徐々に徐々に始皇帝陵本体に近づくように調査は進められてはいるらしいけれど。
いつか、保存技術が確立して、発掘がなされた時、僕たちはまた一つ新たな驚きに包まれるんじゃないでしょうか。楽しみです。生きてるうちに見たいですね。。。


始皇帝陵を後にして、今度は華清池へ。
ここは唐の玄宗とその后、楊貴妃がしばしば逗留した温泉地。
三千年前の西周時代からの温泉の湯元があります。そのため、ここは歴代の帝王御用達の温泉なのです。だから玄宗たち以外にも多くの要人たちが愛してきた温泉なのですが、そこは絶世の美女、世界三大美人の一人、楊貴妃です。
彼女が入ったとあっては、そりゃ有名にもなります。
また華清池という名前も、玄宗が楊貴妃のために華池宮を建造したことに始まります。
またそんな玄宗と楊貴妃の恋愛を題材にした白居易の「長恨歌」の舞台としても有名。

ということで、始皇帝陵からバスに乗ります。

バスは客がほとんどいなくてガラガラでした。
女の車掌さんが僕たちに話しかけてきました。
当然分からないので、筆談をお願いしました。
車掌「日本人か?」
僕「是」
車掌「学生か?」
僕「是」
車掌「兵馬俑や始皇帝陵には行ったのか」
僕「是」
車掌「ちゃんと学割にしてもらったか」
僕「是」
車掌「華清池でも学割にしてもらいなさい」

こんな感じで親切に教えてくれました。いい人。

ということで華清池でも学割を使用。
あっさり学割になりました。
魔法のカードだな。卒業時、返したくねー。


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入り口をくぐってすぐにあるこの建物の中は博物館になっています。

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中には、昔の姿を再現する模型があったり

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蝋人形が置いてあったりと、なかなか楽しめる内容でした。

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楊貴妃。

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いまも湧きつづける温泉に、楊貴妃にあやかって群がる。
このお湯を触るだけですがお金をとられます。
なので僕たちはスルー。

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唐代の風呂の遺構。
こういう風に完璧に出てくるんですねえ。素晴らしい。

ここで当時の偉い人たちが風呂に入っていた様子が容易に思い浮かびます。

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楊貴妃専用のバスタブ。
海藻の形を模していて、当時は青色をしていたとか。
楊貴妃専用なわけですから、当然楊貴妃しか入ってない。ひょえー。
実際に楊貴妃が入ってたんだー。ひょえー。

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そのお隣の建物には、玄宗専用の浴槽が。
皇帝専用とあって広い。
いいですね、この武骨な形が。楊貴妃専用の方は、すごく女性っぽいフォルムだったのに対して、こちらは男の風呂、って感じです。

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排水用の溝です。
この辺の構造もしっかり残っていてすごい。
こんなのが1300年くらい前にあったんですからね。さすがは唐。

温泉水滑らかにして凝脂 を洗ふ
侍児扶け起こすに矯として 力無し
始めて是れ新たに恩沢を承くるの時
雲鬢花顔金歩揺
芙蓉の帳暖かにし て春宵を度る
春宵短きを苦しみ日高くして起く
此れより君主早朝せず
歓を承け宴に侍して閑暇無く
春は春遊に従ひ夜は夜を専らにす
後宮の佳麗三千人
三千の寵愛一身に在り
金屋粧ひ成って嬌として夜に侍し
玉楼宴罷んで酔うて春に和す
憐むべし光彩の門戸に生ずるを
遂に天下の父母の心をして
男を生むを重んぜず女を生むを重んぜしむ


驪宮高き処青雲に入り
仙楽風に飄りて処処に聞こゆ
緩歌縵舞糸竹を凝らし
尽日君主看れども足らず
漁陽のヘイ鼓地を動かして来り
驚破す霓裳羽衣の曲



長恨歌の内、この華清池を歌った部分の書き下し文です。

さてこの華清池。
そんなロマンスばかりの場所ではありません。

中国現代史において、大きな転換となった西安事件の舞台でもあるのです。

1936年12月、楊虎城の西北軍と張学良の東北軍による共産党討伐が一向に進んでいないことに業を煮やし、この二人の将軍を叱咤するため、蒋介石は南京を出発して西安に来ました。
蒋介石は華清宮の五間庁に泊まって、12月12日朝5時、突然の銃声で目を覚まし、着替えもできず、裸のままで窓を乗り越え、山腹に逃走。山はらの大きな石の隙間に隠れているところを張学良の護衛兵が発見して捕らえ、西安市内に幽閉しました。
張学良と楊虎城はさっそく延安にいる毛沢東に電報を打ち、代表団の派遣を要請。毛沢東は周恩来を西安に派遣しました。周恩来は何度も蒋介石と交渉し、その結果第二次「国共合作」が実現したのです。

というのがこの西安事件の概要。

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蒋介石が銃撃を受けた五間庁は現在も保存されていて、銃撃を受けた朝のまま窓ガラスまで保存されてあります。
いたるところに銃痕が。。


華清池の裏にある驪山にはロープウェイで登れるのですが、時間が遅くなりすでに営業終了。
残念だけど、バスを待って、西安市街へと戻りました。



さて、市街に戻って、まずは誘われるがまま、晩ご飯。

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その後、適当にブラブラして、夜市という、市場を見学。
けっこうゲテモノがいっぱい焼かれてました。

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陜西省の役所(?)なんかも見学。
そろそろ国慶節ムードで、紅い横断幕なんかも張られてました。

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ランドマークである鐘楼へ。

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鐘楼。
ここには登ることが出来るので登ってみました。

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中では観光者向けのショーもやってました。

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南門の方を臨む夜景。

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ムスリム通りというところがあってそこにも行ってみた。

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ムスリムというだけあってイスラム教徒っぽい人もいたけど、ちょっと栄えた商店街みたいな感じで楽しかった。

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ムスリム通りにつながる門。


夜の散策を終えて宿に帰ったのはもう22時を回ってました。
ドミトリーにはいつの間にか他のお客さんがいて寝てたので起こさないように神経を使いつつ、就寝。

次の日は三蔵法師玄奘ゆかりの大雁塔と陜西歴史博物館。そして襄樊へ向かいます。
それは次の更新で。

ではまた。
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by jai-guru-deva | 2007-10-24 02:51 | 今日知る旅行