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MUSIC ON! TV 

いわゆるケーブルテレビの番組ですよね。
そこのホームページに掲示板のようなものが、おそらく臨時でできてて、ちょっと面白いのでご紹介。
ライブクリエーターという名前の掲示板で、「あなたにとってライブとは?」というカテゴリーのもと、ライブについて思うことなら何でも書き込んでくれ、とのこと。
しかも何らかのことを書き込めば毎日抽選で100人に1000円音楽分の音楽ギフト券が当たるという。これは結構な確率じゃないか。

ライブ会場をイメージしたらしいデザインになっていて、ステージに番組情報とかが流れて、フェスとかでよくある物見櫓みたいなのをクリックしたら新規スレッドがたてれるようだ。
そしてひとつひとつのスレッドは、お客さんとして表示されている。
お客さんからは吹き出しが出ていて、スレッドのタイトルを言っているので、気になるテーマがあればお客さんをクリックしてやればそのスレッドを覗くことができる。


説明だとなんのこっちゃ?と思われるかもなので、百聞は一見にしかず。そのページに行ってみてください。
ただし、safariはもちろん(?)mac版のIEにも非対応なのか、お客さんの吹き出しが読めないです。だから

>お客さんからは吹き出しが出ていて、スレッドのタイトルを言っている
と書きましたがこれは僕の想像です。
winユーザーの方、どうですか?

あとページがかなり重いので、イライラします。

MUSIC ON! TV
ライブクリエーター

デザインとかはかわいいんだけど、肝心のユーザビリティがいまひとつな感があります。
とある人が、
「この掲示板、使い方が分からない。もっと分かりやすければもっと人が来るだろうに」
と書き込んでいました。
デザインに凝るとだんだん使いづらくなっていく。
往々にしてそういうものですね。。。

けど、1000円ギフト券をいただくチャンス。
僕もなんらかのスレッドたててあの中に分身を潜り込ませようかしら。
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by jai-guru-deva | 2006-03-31 16:15 | 今日知る音楽

備前福岡その2

WBC、とってもスカッとしましたね。
久々に気持ちいい野球を見ました。

さて昨日のつづきですね。

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(妙興寺遠景。備前福岡の町はこのような田園のなかに忽然と浮き島のように現れる)


[福岡の市]

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この絵をご存知でしょうか?
日本史の教科書なんかにもよく載ってます。

俗に「一遍上人絵伝」として伝わる、時宗の開祖一遍上人の説法の旅を描いた絵巻物。

そしてこの絵がちょうど、「福岡の市」に一遍が来訪しているところ。

この絵では一遍と侍が対峙している。
この絵の状況になるまでにはちょっとしたエピソードが残る。

この前の場面で、たまたま備前福岡に来た一遍は病気に悩まされる女房に出会う。
一遍は女房に出家をすすめ、仏に祈ることで病気も治る、と伝える。
女房はその通り出家し、するとたちまち病気は治ったという。
女房は仏の力に感動し、一遍の手により剃髪、仏門に入ってしまう。

さて驚いたのは女房の亭主。
家に帰ると妻が出家している。怒った亭主は妻の説明も聞かず、刀をとって仲間とともに一遍を追う。

そしてたどり着いたのがこの場面、というわけ。
左隅の小汚いおじいさんが一遍上人。それに対しいまにも刀を抜かんとしているのが怒った亭主。周りには仲間がいる。

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ちゃんとこういう石碑も立つ。
結局亭主も一遍に説得され、出家。物語はハッピーエンドで終わる。


「一遍上人絵伝」のこの福岡の市の場面。下端を流れる川がある。
これは「吉井川」という川で、一級河川。
岡山を支える三大河川の一つで、後は岡山市を流れる旭川、備中の高梁川。

この川は規模はまるで違うけれど、エジプトにおけるナイル川のようなもの。
福岡はこの川のほとりに栄えたが、幾度も大洪水を起こし、その流れを変えている。
岡山城下町整備後、福岡の商人が岡山に移住した後の1592年ごろ、吉井川は決定的な大洪水を起こし、福岡の大部分を飲み込み大きく流れを変えた。
現在でこそ福岡の西側を流れているが、福岡全盛の中世は真逆の東側に流れていたようです。なので現在の吉井川の下には中世福岡の一部が眠っているかもしれません。
今でも町と川はほんの目と鼻の先にあるのだが、当時はもっともっと近い位置にあったのでしょう。

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これは吉井川の夕景。
この流れの下に町が沈んでいると思うと感慨深い。

[福岡城と渋染め一揆集結の地]
現在吉井川の周囲には大きな堤防道路がつくられ、洪水の心配はほぼなくなっている。河川敷はゴルフ場になっている。
そんなゴルフ場にぽつんと小山がある。

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ゴルフ場の中を歩いて抜けるのはいささかシュールな光景だが、この小山に行くにはゴルフ場を横断するほかないので仕方ない。

小山の正体は、中世の城跡。
すなわち福岡城の本丸跡である。この小山のみ昔の様子を今に伝えている。
ただし、本当のところ、ここに本丸があった確かな証拠はない。対岸には「本城山」という小山もあってそちらが本丸跡だ、との説もあるからだ。
けれどどちらにせよ、この周辺に城はあり、福岡という一大城下町を持っていたということになる。

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現在は神社になっている。
南北朝時代には、かの足利尊氏が甥の直冬が九州で謀反の兵を挙げたのを鎮圧せんと尊氏自らこの福岡城を本陣と定め、出陣。何千もの大軍で実に40日間滞在したというから、これだけでも福岡の繁栄ぶりが良く分かる。

戦国時代になると、福岡城を巡り、赤松、山名の間で3次に渡って戦争がおきている。

中世には山陽道の要衝として戦略的にも政治的にも大変重要な地域であったことがうかがえる。


さて時代が下って、江戸時代。
幕府は士農工商の身分制度を課し、民を土地に縛り付ける政策を採っていたが、農民よりもさらに低い身分とされた人々がいた。
現代にいたるまで、こういう田舎町ではタブーになってはいるものの差別はつづいていたりするから驚く。つまり、部落差別のことなのだけど、岡山藩では当時(安政2年の倹約令で)、被差別部落の人間には「着物は渋染、藍染とすること」などの差別を押し付けた。
これに対し翌安政3年6月13日夜半から早朝にかけて藩内の数千人の被差別部落の男たちが立ち上がり、この吉井川原に結集し、藩筆頭家老、伊木忠澄の虫明(むしゃげ)陣屋を目指した。

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これが結集地に残る碑。

途中、家老側との交渉の交渉の結果、差別法令撤回の嘆願書を受け取らせ、事実上この差別法令を撤回させたということです。
これが「渋染一揆」。無血による一揆というわけです。


この吉井川で写真を撮っていると川原で犬の散歩をさせていたおじさんに声をかけられた。
その顛末を載せてみる。

おじさん「あんた、カメラマンかな。さっきから熱心に撮りょうられるけど」

僕「笑。いや、趣味でやってるだけで、まだ始めたばかりですよ」

お「ふうん。写真が好きなんじゃなあ。この辺の人か?」

僕「はい。実家が福岡で。今は東京に出とんですがね」

お「ほんまかあ。東京のどこでえ」

僕「え?新宿区ですけど」

お「新宿区か。いや、私の娘もいま東京出とってな。杉並区におるんじゃ」

僕「へえ!そうなんですか」

お「じゃけど、杉並区は田舎らしいが。西大寺と、えろお変わらんよーったわ。」


※西大寺は岡山市にある少し開けたところ

僕「そりゃあさすがに言いすぎじゃ思いますけど、まあいいとこなんじゃないですか?」

※僕は杉並区のことはほとんど知らないから適当なことをいってみる。
 おじさんは棒を川へ投げ入れる。犬がそれを拾いに行く。

僕「すげえ!いっつもここで遊ばせようるんですか?」

お「うん。ここで自由に走り回らせとんよ。ところであんた学生かな」

僕「ええ。」

お「何を勉強しょんで」

僕「んー、文学部です」

お「文学部ゆーたら、あれじゃな、先生じゃ。学校の先生になるんじゃろ。社会の先生がええが。」

僕「はは。けど僕、先生になる気はないんですよ」

お「ほーか。いまは先生も厳しいけえなあ」

ーしばらく沈黙。

お「あんた、血液型はO型じゃろ」

僕「え??ちがいますよ」

お「おろ?じゃあA型かな」

僕「いやいや、Bですよ、僕
 (なんで突然血液型??)」

お「そうなんか。いやあ学校の先生ゆーたらO型かあ思うてよ」


ーだから先生になる気は毛頭ない、と。

僕「でも僕、A型とはよく言われますけどね」

お「おお、そうじゃろ、そうじゃろ。そう思うんじゃ」←うれしそう。

僕「けどBですけどね」

お「ほーか」

ーしばらく別行動。この間も僕はひっきりなしに川原を撮影。

お「そのカメラはどこのでえ?」

僕「フジフィルムですね」

お「男の子は、カメラか釣りじゃなあ、うん。それもはまり出したらナンボでも金がかかろうが」

僕「そうですねえ、きっと。僕はまだ初心者ですからねえ」

こんな感じで話は終わり、

お「こっちの道はきたねえけえ、そっちまわって帰られえ」


と言い残し、川原の藪の中に消えていった。
何者だったのだろう。

けれど田舎だとこういうところがうれしいですね。
東京だといきなりおじさんに声かけられたら少し身構えるんだけど、田舎のおっちゃんは放し飼いの犬を二匹連れているにもかかわらず、普通にお話できた。身なりは明らかにこっちのおじちゃんのが怪しいのに。


そんなこんなで夕暮れです。

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ちょっとぼかして撮ってみたら砂漠のようになりました。
いかがでしょうか。

備前福岡の旅、というか散歩はどうでしたか?
こうやって郷土の歴史に触れて回るのはとても楽しいことですよ。
どの地域にもその地域にしかない立派な歴史を持っています。それを知らないでいることはすごい損だと思うのです。
自分自身のルーツを紐解く鍵にもなりますしね。
みなさんも一度、そういう目で郷土を見て回るとみなれた地域に新たな発見があって面白いと思います。ぜひやってみてください。

では。
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by jai-guru-deva | 2006-03-20 01:33 | 今日知る旅行

備前福岡

前の記事、neonですが結局岡山にはなく、途方に暮れてたら埼玉は杉戸で残り1台のshiroがありました。
喜び勇んで取り置きお願いしました。
最寄り駅は杉戸高野台。どこだ??
検索したらウチ、神楽坂から一時間半かかるようです。ちょっとした旅ですね。
けれどneonのため。このくらいの労力は厭いません。

さて。
昨日は天気よかったので地元をぶらぶらと散策してまいりました。
以下そのレポート。
今回は、つまり、郷土自慢てやつです。

【行幸地区】

岡山県瀬戸内市長船町は、大きく三つの地域に分かれる。
すなわち行幸(みゆき)、国府、美和がそれ。
これらの地区に各1校ずつ小学校が設置され、中学校で、長船中学校として3校がひとつになる仕組み。

僕は行幸小が母校になります。

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これが行幸小。
外観はほとんど僕の通っていた頃と変わりません。
ただ、昨今の小学生を狙った犯罪事件の影響からか、校門は固く閉ざされていました。
まあ僕自体カメラ片手に小学校に侵入しようとしているんだからかなり怪しいオジサンなのですが(笑)

そもそも行幸なんて仰々しい地名、どこからきたのでしょう?
実はこの地名はそこまで古い地名ではありません。
明治の最初頃、維新政府は天皇主権を主張するため、明治天皇の全国行幸を敢行させたのですが、その際、旧国道2号線沿いにあるこの長船の地にも御行幸あそばされたために、以後これを記念して「行幸」と書いて「みゆき」という地名を使ったということです。

さてこれが僕の家のまわり。
田舎具合がかなりわかってしまうんですが、音量大きくしてもらうと鳥の鳴き声なんかも聞こえてきます。
抜けるように晴れてて、春のような陽気の中だったのですごく気持ちよくて、癒されました。
※現在の通信状況により動画がアップできませんです。しばらくお待ち下さい。

【備前福岡】

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福岡の町です。
いまはただの田舎町です。
けれどこんな田舎町のくせにこの道路。
かなりひろいですよ、これ。
この写真だけじゃ分かんないかもなのでこちらもどぞ。

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そしておどろきなのが、碁盤の目のように整然と区画されています。上空からみると京都のミニチュア版のような感じになっているはずです。金沢旅行の記事にある金沢主計町とも似てなくもない。
ちなみにこれが地図。

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ほらね。田舎にしてはかなり不思議な町づくり。
これこそ、中世の繁栄の跡をうかがうための大きなてがかり。
以前、宇喜多直家らを紹介した記事でも書いたが、当時の備前福岡の繁栄ぶりは半端なく中国地方随一の大商業都市であった。

地図にも見えるように

東小路
上小路
下小路
市場小路
横小路
後小路
西小路

と七つの小路すなわち「七小路」と殿町、横町という細い路地から成る。
現在岡山の表町商店街に殿町だとか上小路だとかいう地名が残っているのは、戦国時代、宇喜多直家がここ福岡の商人を岡山に移住させたため。歴史ってこういうところがすごく興味深い。岡山県民以外はなんのこっちゃという感じかも知れないが、岡山県民なら、へーなるほど、となるはず。それほど表町は現在の岡山でもメインのショッピングストリート。

ちょっと話が脱線しました。

でその「七小路」にプラス「七つ井戸」とよばれる井戸が、文字通り七つ存在したようです。
なんだか「七つ井戸」と聞くとおどろおどろしくて、貞子でも出てきそうな気がしませんか??
僕は小学生のころ、「七つ井戸」の聞こえになんか不思議と陰鬱な感じがしてました。

いえ、もちろんこの「七つ井戸」はそんな、女中が殿様の大事な皿を割ったがために井戸の中に閉じ込められて溺死して、夜な夜な
「いちまーいぃ、にまーいぃ」
と皿を数える声が聞こえる、みたいな怪談話が存在するわけではありません。
実は、「七つ井戸」は後で紹介することになる、福岡のすぐ横を流れる大河、「吉井川」の水運を見事に利用した中世福岡の上下水施設のことで、むしろ怪談の陰気な雰囲気とは逆で、中世福岡人の格好の社交場としてわいわいがやがや奥さんたちや、子供たちで賑わっていたようです。
現在は「七つ」ではなく、四つが現存しています。

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「七つ井戸」のうちのひとつ。現存する四つのなかでも最も保存状態がいい。釣瓶ははずしてあるが、いまだに水は涸れることがない。

さてこの井戸のすぐ南側にあるのが「教意山妙興寺」
日蓮宗のお寺です。地図で見ると右下にありますね。そこから西に「市場小路」という意味深な名前の路地がつづく。市場小路は妙興寺の門前町。おそらく、有名な「福岡の市」の中心だったのではないでしょうか。

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応永10(1403)年3月、播磨国主赤松則興の追善供養のためにその子、権大僧都日伝上人の開山で、山号の「教意山」は則興の法名だそうだ。
永禄元(1558)年には寺域が二町十坊一院という豪壮なものだったと伝わるが、享保元(1716)年出火。その大半が焼失してしまったという。現在のものは安永3(1774)年の改築。

この寺は事実上福岡の中心といえる。僕も小さい頃、ここに併設される公園でよく遊んだ。近くにあった駄菓子屋で友達と駄菓子を買って公園で遊びながら食べる。これがすごく幸せだった気がします。

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昔、僕が遊んでいたころよりも随分綺麗になっている。
けれど基本は一緒。
ブランコに一人で腰掛けてちっちゃい頃を思い出してみると、センチメンタルな気持ちになってすぐにやめた。

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この公園にはひっそりと梅も咲いている。
昔からあったんだろうけど、梅なんかに目もくれず遊んでいたのだろう、こんなに綺麗なのに気がつかなかった。

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妙興寺の奥には大銀杏の樹が二本そびえる。樹齢300年を数える大木だ。
いまの季節だから、寂しい佇まいだが、春から夏には新緑の葉が生い茂り、秋には紅葉する。かなり遠くからも目立つ大木で、立派なアクセントになっている。

この大銀杏の奥は檀家さんの墓地となっていてそこに戦国稀代の謀将宇喜多直家の父、興家の墓と、豊臣秀吉の知恵袋、黒田官兵衛孝高の曾祖父高政の墓が静かにたっている。

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宇喜多興家公の墓。
この一帯は古い墓が多く、墓碑もすでに読めない。
近くに辛うじて読めたものに嘉永とあるものがあった。僕は墓碑を読むのが好き、というと変な
趣味だなと思われるかも知れないが、なんか、すごく燃える。この土の下に、たしかにその時生きた人が埋まっていると思うと感極まるものがある。墓をみながら一時間くらいは、ぼぉーっとしてしまう。
僕もいつかどこかの土の下に入るんだなあ、きっと。
さて、宇喜多興家と直家は逆境時代にこの福岡で豪商阿部善定に庇護され暮らしていたのだが、興家はこの阿部善定の娘とデキてしまい、忠家と春家をもうける。直家にとっては異母弟ということになる。
興家は天文5(1536)年、この地で病没。妙興寺で葬られたようだ。直家の以後の躍進については以前の記事を参照していただきたい。

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黒田高政とその子、重孝の墓。
黒田家はもともと近江の出身だが、応仁の乱などの混乱で備前福岡に流れ着いたという。
高政は商業都市備前福岡で目薬屋を営み、それなりの利益を上げていたとつたわる。
その子重孝も福岡に住まうが、さらにその子職高の代に、姫路の小寺家の下に使えた。小寺家でめきめき台頭し、職高は主家の姓をもらって小寺姓を名乗るまでになる。
そしてその子が官兵衛孝高。この人はかなり頭の切れる狡猾な人物で、当時、織田家の勢力が強大で抗いがたしとみるや主家、小寺の殿様を説得して織田家に売り飛ばしている。そして自分は中国地方戦線の軍団長羽柴秀吉の目にとまり、その参謀として迎えられる。秀吉には竹中半兵衛というこれも切れ者の軍師がいたが、間もなく肺結核で病没してしまうため、官兵衛はより一層重席となっていく。
一度、織田信長の怒りを買い、人質になっていた嫡子長政が斬られそうになったところを、秀吉の懇願で助けてもらっている。けれどこのとき官兵衛自身は立つこともままならない牢獄に監禁され、許されたころには足が不自由になってしまい、以後歩行困難になっている。
一説には本能寺の変を画策したともいわれる官兵衛。とにかく腹黒い。
秀吉もその腹黒さと野望、そして冴え渡る知略を危惧して、官兵衛の功績にはまるで見合わない知行しか与えていない。権力を与えることを恐れたのだ。

その官兵衛の野望が爆発したのが秀吉死後の関ヶ原の戦い。
豊前に領地を持っていた官兵衛は、年齢を理由に、嫡子長政を徳川家康側、すなわち東軍につけ、自身は豊前にいた。

しかしそこは官兵衛。
天下をまっぷたつに分けた関ヶ原。世の強豪たちは本国を留守にしていざ関ヶ原へ!
である。
官兵衛のいる九州では強敵島津が西軍として参加していたから、九州平定には願ってもないチャンス。
官兵衛が関ヶ原参戦を固辞したのはこの野望を達成し第三勢力として天下をうかがうためだった。

けれど皮肉なことに、息子、長政の大活躍により関ヶ原は東軍大勝利でたった一日でおわる(笑)。

意気揚々と凱旋した長政を官兵衛は大叱責。
長政は、ほめられるならまだしも怒られるいわれはない、と意味不な様子。
そこで官兵衛は
「関ヶ原があとすこし長引いていれば九州平定など容易かったものを。何故それがわからなんだか」
と言い残したそうな。このとき、きっと官兵衛の中で戦国時代は終演を迎えたのであろう。

このあと関ヶ原の功績で長政が家康から筑前をもらうと博多の西、「福崎」に居城を構えたがその地名及び城名を、父祖の霊の眠る備前福岡を偲び、「福岡」と改名。ここに九州の大都市福岡が産声をあげることになるのだ。

ちなみに官兵衛は家康からも恐れられて冷遇され、不運のうちに病没している。

妙興寺内には神社もあって、その鳥居には石ころがたくさん乗っかっている。

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これは、うまく石を乗っけられたら願いが叶う、みたいな言い伝えがあって、僕も小さいときこのに石を乗っけて遊んだ記憶がある。

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妙興寺門内から市場小路を望む。
往時のにぎわいは全く感じられないけれど。

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逆に市場小路から。
写真左前方にある車で道がどれだけ広いか、分かっていただけると思う。
かなり広い。やはりただの田舎町の道じゃない。

この市場小路の真ん中辺りに公会堂という町民の会議や子供会の催し物をするところがあるんだけど、ここにひとつの石碑が残る。

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菊一文字で有名な、福岡一文字派を記念する石碑。
備前福岡は知らなくても、菊一文字則宗という名刀を知っている人はいると思う。
新選組の沖田総司の愛刀というのは全くの作り話(一介浪人が持てるはずもない。当時だって国宝級の刀である)だが、日本海海戦において東郷元帥が、明治天皇より拝領して、三笠の艦上で指揮を取ったのはまぎれもなく菊一文字吉房だそうだ。
そもそもの名前の由来は、一文字派が銘のところに「一」の字を打ったから。
さらに、後鳥羽上皇の承元の時代には天下の刀匠を集め、太刀を鍛えさせた際、召集をうけた刀匠の大半は福岡の刀匠であり、その功績から菊花の門を銘に入れることを許されたことから、菊花門と一文字が入った刀を「菊一文字」と呼ぶようになったのだということだ。

現在残る国宝、重文に指定される刀剣の実に七割が備前刀ということからその技術水準の高さが分かる。

ちなみに長船には、備前長船博物館という刀剣を常設展示している博物館があり、その横には、今も刀鍛冶の工房があって、刀鍛冶職人さんもいる。
大阪大学を出て、現在刀鍛冶修行中の人がいるという噂も聞いた。かなりアツい人だ。

さてしばらくあるくと小さな公園がある。
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ここも遊具が一新されていた。
ここは夏休みの朝はやくに何故か小学生がほぼ強制召集され、ラジオ体操をさせられる場であった。僕たちはここを「岡山のアウシュビッツ」と呼んでいた、なんてことは全くないが、とにかく思い出深い場所である。
僕にとってはそれ以上に思い出がある。
たしか小学2年生のとき。
僕はどうしても鉄棒の「逆上がり」ができなかった。
体育で、自分だけできないのがとても悔しくて、父にそのことを言うと、

「よし、じゃあ練習せんか」

と、ここの公園に来て、暗くなるまで練習を手伝ってくれた。
一週間くらい詰め込み練習すればどれだけどんくさいヤツでも逆上がりくらいはできるようになるもので、僕は、次の体育で突然逆上がりができるようになったものだからとても先生や友達にほめられたのを記憶している。
努力して、達成した快感を、初めて知れた気がする。

しかしそんな思い出のつまった鉄棒ももはや撤去されていて跡形もない。
仕方のないことだけど、こういう小さな故郷の変化は胸が詰まるものがある。



ちょっといい話なところで眠くなって来たので続きはまた明日。
アスタマニアーニャ☆
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by jai-guru-deva | 2006-03-19 03:21 | 今日知る旅行

NEON

欲しいよー、欲しいよー。
今、僕は携帯、INFORBARのanninを使っているんだけど、同じau design project 深澤直人氏のデザインです。
NEON au design project

そろそろ発売から一ヶ月。。。
なんでいまごろ、というと、もちろん前々から気になってはいました。
ひとつにINFORBARが壊れかけているということ。
もうひとつに給料日まで待っていたということ。

性能は、INFORBARから容易に想像できる通り、そこまで優れたものではないという評判を聞きます。
けど、au design project てそういうんじゃない。と僕はおもっているので。要はデザインがいいか悪いか。
INFORBARをかなり気に入っていている(機能はかなり最悪の域に入ると思うけど)僕をして乗り換える気にさせたのだからどうしても手に入れたい。
LISMO対応、なんてのさえ正直、どうでもいい。
なんだ?この感情は。

鯉。

なのか?

コレは



なんだな。

ドキがムネムネするこの感覚。
もう春の足音が聞こえつつえる、三月も中旬。
けれど女の子よりもNEONが欲しい。

そんなわけで、要するにデザインがもう僕の好みにぴったしで、コレしかない、と給料日を待ちつつ、auショップをうろうろ。



・・・

どこにもない。


どこにもないじゃないか。


在庫がないのよ。



調べてみると、どうも限定生産だとか、生産終了だとか噂がたっている。

とにかく、都内のショップはちょっと見て回ったけどどこにもない。
一応、ネットでいろいろと検索した結果、通販なんかであるところにはある。入荷は未定だが、だいたいどこも予約は受け付けていたりもする。

だけど、いますぐ欲しい。
急がば回れ、で結局いま通販で注文したり、どこかで予約してれば、、、てことになる可能性も大だけど、たまたま、運転免許証の書き換えで岡山に帰ってきたので、岡山のショップもあたってみる。

ここは若干田舎の強みに賭けてみたい。

すると、mizuiroはある、との返答が一軒。
そこそこの手応えはアリだ。
でも、僕の欲しいのはsiro☆
iBookタンとその横で赤色LEDを光らせて欲しいの。

てなわけで明日は一日、neonを探す旅に出ます。
願わくは、このブログにneonとiBookの並んだ写真が載らんことを。

アーメン。
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by jai-guru-deva | 2006-03-17 02:13 | 今日知る現実

Googlezon

先ほどのGooglezonの記事の追記です。

アマゾンのアグリード機能、カスタマイズ機能とグーグルのロボットエンジンの検索能力とを融合すればブログやネット上に氾濫する情報から自分の得たい情報が素早く入ってくるというもの。
確かにかなりお手軽でもしもこういう機能がつけば楽だ。
だけど、それだと、自分の興味ある情報しか入ってこないし、特にブログの場合は作者の主観的な意見が主を占める。もちろんブログとはそういうものだし、そうであるべきだと思う。それはブログの持ち味だ。けれど、そのためにグーグルゾンが標榜する、全世界民ジャーナリストという世界は情報に対して偏重になってしまう気がして怖い。
逆に新聞とは、一部の過激な思想を持つものをのぞいて客観的視点に立つ読み物で、誌面には出来事をあまねく網羅している。
ただし、一部、スクープを追い求めるあまり誤報道を含む場合もある。
それをいち早く指摘するのは、最近は専門家などではなくどこかのブロガーなのである。

こうしてみるとすでに情報化社会といわれる世の中からネット情報を削除することはまず無理だ。
かといって紙の媒体が死んでしまう、文字通り「燃え尽きる」なんてこともまずないだろうと思う。これからはお互いが補完しあってより正確なニュースを、まんべんなく伝わるような方向になればいい、と思うのです。

みたいなことを「グーグルゾン」のフラッシュをみてて考えました。
あなたはどう考えますか?
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by jai-guru-deva | 2006-03-09 11:44 | 今日知る現実

Googlezon

グーグルゾンってご存知でしょうか?
検索エンジンGoogleとネット通販Amazon
このふたつの企業が業務提携したのが「Googlezon」です。

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GoogleとAmazonこの夢のような提携、2014年に実現する、というのは全くの嘘で、一昨年あたりに広まったフラッシュムービーの中での架空のストーリー。
このロゴとグーグルゾンという名前は笑ったが、グーグルとアマゾンのいまのスタンスを見るに、このネーミングも現実味があるように思える。
とりあえず、一度観てみてください。

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EPIC2014CRICK HERE TO VIEW (日本語字幕版)とあるところからご覧下さい。

amazonと言えば、顧客の情報をアグリードして、以前までの買い物のデータから顧客が興味を持っていると思われる商品をトップページに表示してくれる機能が便利で有名。
googleと言えば、専ら検索のみに使われるサイトですが、様々な分野に意欲的に進出しています。
とくに今年の2006年のくだり。
2006年のグーグルの展開を予想している部分。
「2006年 ー グーグルはサービスのすべてを統合する。
同社は、TiVo、ブロガー、Gメール、グーグルニュース、そして検索関連のすべてを統合し、あらゆる種類のメディアを保存・共有するための無限大のストレージ容量と帯域幅を提供する万能プラットフォーム「グーグル・グリッド」を発表」
というのは現実味を帯びている。
事実、3月7日、Googleが行った投資アナリスト向けのミーティングで、Google Driveという、メール、Web履歴、写真、ブックマークなどユーザーのデータを100%すべて保存し、様々なデバイスからアクセスできるようにするサービスについての話をした。
このストーリーの中で、Google Gridと呼ばれていたサービスがそれと酷似してはいないだろうか。

ただ、このEPIC2014については真剣な議論をするというよりも、将来を楽しんで空想してしまう。
全体に流れるジョークめいた空気がそうさせるのか。

ニューヨークタイムズを追い落とし、オフライン限定にさせてしまうところなんて、ほんと、ただのジョークです。
ただし、これは大げさに言っているだけのことで、実は全くあり得なくもない、と僕は思う。

今回のnewsweek japanにもこのフラッシュムービーの話は取り上げられていて、ブログや、ネットの情報 VS 紙媒体(伝統的権威を持つ新聞社)の特集を組んでいる。

僕もこうしてブログをやっている人間なので、この記事は非常に興味深かった。
ブロガーのみなさんは是非、一読を。

情報を、新聞ではなく、ネットで得る。僕たちの世代は、多くがその傾向にある。
特にブログをつけている人たちは情報に敏感でなければならない。
新聞では朝、夕しか情報が入ってはこないから、タイムリーに手に入るネットでの情報収集はかかせない。そして無料である。

ちょっと尻切れトンボなんですが、バイトのレジ点検があるのでまたあとで追記します。
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by jai-guru-deva | 2006-03-09 08:47 | 今日知る現実