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ブラックホールズアンドレヴァレイションズ。

あー、とうとうMUSEの新譜手にしたよー。
大好きな友達が買っといてくれたのよ。ほら、僕夜学だから、タワレコとか授業終わりに行こう、とか出来ないから。
昼行けって?
愚問。

ブラックホールズアンドレヴァレイションズについて批評する気はさらさらないです。
というか、音楽って人それぞれで人によって評価は様々だし。誰彼にMUSEすげえよーとかって言うのがもはや不毛だと思うし。

ただ、僕はもう、ビートルズ、オアシス、ミューズで一生生きて行けるかも知れない。
けどそうでもないかも知れない。


いつの日だったか、友達と、
「バンドってアルバム3枚出したら解散していんじゃんね?」
て話してたけど、MUSEの4枚目聴くとそうでもないかも、って気がしてきた今日この頃です、どうも。

まあ、なんというか、もともとミューズ好きだったなら聴いてみていんじゃないですか。
いままでミューズ聴いてなくていきなりこのアルバムからは聴いて欲しくないなあ、とは思いますが。

某音速さんの話によれば1stのショウビズに近い、と聞いて聴いてみたんだけど、たしかにその節はあるなあ、とは思います。

けど、やっぱすごい。
現在進行形で進化してるバンドの曲をリアルタイムで聴けるというのは幸せだなあ。



ちなみに僕の好きなオアシスはほんと、2枚のアルバムで終わっても良かった。
3枚目以降はおそらく、ファンじゃないと聴けないと思います。

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あとは適当にamazonなりタワレコなりで買ったらいんじゃないすか。
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by jai-guru-deva | 2006-06-30 05:59 | 今日知る音楽

懐かしい写真。

部屋の掃除してたら、高校の卒業式の写真が出てきて、ちょっと面白い写真だったから載せてみます。

僕が、どうしてもアビイロードで撮りたい!!ってわがまま言って友達に付き合ってもらった写真です。


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左から二人目、ポールの位置にいるのが僕です。
ちゃんと裸足になってますね(笑)
高校生だから、タバコは持てないので、実際のアビイロードのポストカードを持ってます。

一番右のジョンの位置の友達が、かなりいい動きしてます。


ちなみに実際のアビイロード↓


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本気でビートルズに心酔してた時期だから友達に迷惑かけることも厭わなかったんですね。
付き合ってくれてありがとう。いい奴らだ。
みんないま何してるんだろうなあ。。。

まるでほんとのビートルズみたいにバラバラになってしまいましたが、きっとみんな元気でやってることでしょう。

ではまた。
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by jai-guru-deva | 2006-06-29 00:47 | 昨日見た夢

奈良大和路を行く。平城宮跡。

更新滞り気味です。
今回の記事は、自分にとって思い入れが深かった分、長くなりそうなんでちょっと気が向かなかったりしたんですが、とあるかわいい後輩たちが読んでくれてる、っていうのを知って励みになりました。
やっぱり公表したくて書いてる日記だから、読者がちゃんといてくれるっていうのはとってもうれしいです。はい。

というわけで、もう行ってから二週間ほどたったんですが今回の奈良の旅の一番のお目当て、「平城宮跡」です。

以前までの奈良旅行記事です。参考までに。
法隆寺、薬師寺
奈良公園周辺

【平城宮跡】

平城宮ってなんなの??
という方へ。
まず、平城京とは、西暦710年にできた、日本で初となる本格的で長期的な”都”。
もちろんその前に藤原京やらいろいろありましたが、長期的に政治システムを確立し、機能していたのはこの平城京が初と言ってもいいんじゃないでしょうか。
「なんと綺麗な平城京」
この「なんと」という語呂合わせは名言で、
まず、710年というのがわかり、
「なんと」という感嘆の意味も持ち、
素晴らしいダブルミーニング(じゃないと語呂合わせとして成り立たないが)!と思ってたら
「南都」の意味も隠れてることに今気づきました。このワンフレーズで場所まで分かってしまうスグレモノです。

話がそれました。
で、その”平城宮”の跡地がまんま、原っぱとして残ってると聞いて、いつか行きてえ、とは思いつつも、いつも京都とかでお寺みて満足してなかなか奈良まで足を伸ばすことがなく22になってしまったのです、はい。
今回ばかりはこのサイトなんかに触発されて、どうしても行かなきゃ!って気持ちになったので行ってきました。
こういう、昔の姿を偲べる場所ってすごく好きなんです。
ああ、1300年も前の人はだいたい同じ景色を見てたのかなあ?とか、思うとドキドキしてたまらなくなるのです。
こういう気持ち、わかってくれる人、付き合ってください。

ところで、”平城京”ではなく”平城宮”というのは、
”平城京”だとだいたい現在の奈良市のあたり全体をさしちゃうからで、”平城宮”ってのはそのなかの内裏やら大極殿やら、つまり天皇のいるところで、政務、朝事の中心な場所。全体はさすがに残ってないけど、朱雀門から内側はほぼすべてが野原として(現在も発掘調査中)のこっていて、特にこの場所を指しています。
とはいえ、めちゃくちゃひろい。
これだけの敷地がこれまでよく開発されなかったなあ、と感心(?)してしまいます。
とりあえず地図でも。
平城宮跡 -google map-

平城京。
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これが平城宮内部の様子(俯瞰図)。
前期平城宮
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後期平城宮
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画像資料:奈良文化財研究所

前期と後期で大極殿の位置なんかが違うんですね。

この地図なんかを見ても広さって実感できないですよね。
1キロ四方あるんです。
と言っちゃうとむしろ小さく感じてしまうかな。

実際行ってみないとあの途方もない広さは分かんないと思います、実際。
では、僕の歩いた道程を地図で示しつつ、写真を交えて報告しますね。
(地図については”第一次大極殿”再建中なので便宜上、前期の方を使用します)


さてさて前回の薬師寺を出て近鉄線に乗り込み、近鉄西大寺駅で降りる。
クソ晴天でうだるような暑さ。
この時点で既にバテ気味。
この日は朝6時起きで、法隆寺、薬師寺、唐招提寺と回ってきていてこの時すでに午後2時。
最早半分意地になってました。
駅から10分程歩くと、それはありました。
最初の感想は、ちょっと広い、公園、くらいのもので、「うーん、サクッと回って帰るか」程度のぬる〜い気持でした。


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①から見た再建中の第一次大極殿。
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2010年が平城京遷都1300周年ということで、いま奈良県は全文化財をあげての大改修、再建祭りになっているのですが、その主役たる大極殿を再建中なのです。
もちろん当時の設計図みたいなものとかはないけれど、唐招提寺の金堂だかには当時の平城宮の建物が改築されていて(現存唯一の平城京の建築物)、そういったものを参考に出来るだけ忠実に再現しようとしているようです。
大極殿というのは朝廷の祝賀の祭りなんかに使われた都の、当時の日本の中心の建物です。

②から再建された朱雀門をみる。
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言わずと知れた平城宮の正門。
これも大極殿と同じく、当時の様子を類推して再建されたもの。
これを見てはじめて感動しましたが、同時に絶望感も生まれました。
ー遠すぎる。


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③から朱雀門をみる。
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ん??線路??
そうなんです。

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地図の黒い線の部分には近鉄が走ってます。
最初は、こんなんありかー!と憤りましたが、朱雀門をバックに平原の中を走る電車も絵的にはアリでした。



同じく③の場所。
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こうした地下水源が、1300年の間、埋蔵文化財を保護するのに一役買ったわけですな。



③近く、大極殿と朱雀門の真ん中あたりから撮った動画。
音がとぎれとぎれですが、鳥とか超鳴いてる。
これで多少は広大さが分かってもらえるかな。
平城宮跡




④ここは兵部省跡。
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軍事全般の人事、事務なんかが行われていた場所。
建物を50cmだけ再現。
むかしの様子が偲ばれます。



⑤朱雀門です。やっと到着。
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超カッコいいんですけど。
この日は月曜で入れませんでしたが、他の日は一般に公開して、門をくぐれます。


⑤これ、広場じゃないです。道です。
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ね。
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九条にあった、羅城門から一直線に4キロ続いていたという朱雀大路。
その幅74m。
広場のように見えてもおかしくないわけだ。


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⑥壬生門跡
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第二次大極殿が出来た後期平城京では、こっちの門が実質の正門として使われたようです。
朱雀門は機能しなくなったとか。


同じく⑥あたり。式部省跡。
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兵部省と道一本はさんで向かい側は式部省。
兵部省が武官の役所なら、式部省は文官の役所。
こちらも50cmだけの再建です。


式部省の下水跡
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こうした施設にもえる。



⑦辺りから。遠くに阪奈自動車道がある。
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当初、平城宮跡の上をぶちぬくつもりだったとか。
世界遺産に認定され、多くの人の反対にあったため、建設ルート変更を余儀なくされ、現在のルートに。
けれどまだ平城宮跡上に高速を通す計画があってもめてる様子。
詳しくは冒頭にも挙げたこのサイトを参考にしてみてください。


⑦復元された東宮。
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これも月曜なら入れたのに。
中は、庭園なんかも再現されているようです。



⑦から⑧の方を望む。遠くに見えるのは再建された建物。
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また遠いなー。
この辺りでここに来てからほぼ1時間半。
日射病にかかって倒れる。
この頃には歩く元気もなくなっています。
途方に暮れて某先輩に電話するも仕事中かつながらず。
20分程休憩を入れる。



⑧までのみちすがら。
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発掘調査中。
ちなみにこの平城宮跡の全ての調査が終わるのには少なくともあと100年はかかるとか。



⑧天皇のお世話をする人たちやら飯つくる人たちやらがいた建物の復元。
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この隣が内裏です。



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⑨内裏跡の様子。
礎石の跡に樹を植えている。
ここに天皇とかがいたんだー!
とちょっと元気に。
平城宮 内裏


⑨第二次大極殿跡。
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後ろは内裏。
奥のこんもりとした山は、おそらく古墳。



⑩第一次大極殿
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ちょっとだけ一般公開してるっぽいけど、これまた月曜はお休み。


⑩から朱雀門を。
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なんかもう遠すぎてかすれんでるもんね。
ちょうど電車も通ってます。





とまあ駆け足でしたが、こんな感じでした。
所要時間は2時間半。
月曜以外に来たいです。
けど夏はヤダ。




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行基ー!!
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by jai-guru-deva | 2006-06-28 08:33 | 今日知る旅行

奈良大和路を行く。法隆寺、薬師寺編。

わー。
エキサイトブログの画像アップ容量が1GBまでに強化されてるー!
1GBて事実上無制限じゃないですか。うひょー。
ってこれ結構前からなのかな。

ともかくこれからは画像アップにおいて容量の憂慮をほとんどしなくてすむので、バシバシのっけようと思います。

で。
奈良旅行の続き。
前回のはコチラ

本来は今回の奈良旅行は日帰り、とまでは言わないけどとりあえず一日くらいにしてあとは例によって京都とか回って帰ろうと思ってたのですが、そこは、奈良。僕を容易に離してはくれませんでした。

なので、予定を変更。
もう一日、奈良を旅することにしました。
二日目最初。まずは法隆寺。

【法隆寺】
すごい定番ではあるんだけど、いま聖徳太子のことを大学で勉強してるからどうしても行きたかったのです。

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懐かしいアングル。
修学旅行でここで集合写真を撮った人、多いんではないでしょうか。


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五重塔。

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金堂と五重塔。
金堂内に壁画が「あったこと」は有名。
壁画は、あろうことか1949年、金堂の改修工事中、壁画の模写時に火災がおきて焼失。
現在は丸コゲになった壁と柱が残っているらしいが、非公開のようです。

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聖霊院(左)と妻室(右)

ここからすこし北に歩いて大宝蔵院へ。
有名な(通称)百済観音を安置するための百済観音堂とあわせて平成10年の落成で、あたらしい建物。百済観音をはじめとして夢違観音、玉虫厨子、橘夫人厨子、百万塔などお宝がたくさん。
なかでもやっぱり百済観音は別格なものを感じました。
この観音様は、これだけ有名なのに、なぜ法隆寺に伝わってどういう仏像であったか不明な点ばかりだそうですね。
細長い体に柔和な顔。白鳳の様式に見えるけどこんな八頭身くらいあるスタイルのいい仏像って日本では珍しいらしいです。
けど楠からつくられていることから日本でつくられたことはほぼ確かなんだとか。
今回初めての対面でしたが、写真なんかでみるよりはるかに柔らかな顔をしていてとても安らぐような心地になります。
法隆寺の国宝美術
百済観音やら夢違観音やらのことはここにくわしく書いてあるので参考にしてみてください。

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しばらく東へいくとあるのがこの、夢殿(右)と絵殿(左)
もとは聖徳太子の住居であった斑鳩宮の敷地で、山背兄皇子が蘇我氏に攻められて露と消えた斑鳩宮の跡地を偲んで行信僧都というお坊さんが建てたのが、八角形の夢殿を中心とする東院伽藍。
フェノロサと岡倉天心が「発見」したという救世観音像が秘仏として安置されています。
ちょうど時期が合わなくて拝めませんでしたが、年に二回、春と秋に公開されています。
なんでもフェノロサたちが開帳する前まで白布で幾重にも包まれて、開けると地震が起きるとまで伝えられていた像だから、保存状態はすこぶるよくて、今でも金色の肌を残しているそうな。一度拝みたいものです。


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ちょっと北へ行くと、中宮寺。
菩薩半跏像の様子を、悪いとは思いつつ遠方から隠し撮り。
アルカイックスマイルの典型でエジプトのスフィンクスやモナリザの微笑とならんで世界三大微笑だとか。
スフィンクスって微笑してたっけ。。。
中宮寺は江戸時代初期の慶長7年(1602)、慈覚院宮を初代門跡に迎えて以後門跡尼寺として今日に至っています。
門跡寺院とは代々皇族や貴族の出の者が住持する寺のことだそうです。


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東大門より西院側を観る。
東大門は奈良時代から残る貴重な門。ちなみに南大門は室町時代の再建。


さて法隆寺を後にして、バスで薬師寺に向かいます。
当初、行く気はなかったのですが、奈良マニアの某音速さんのススメで行ってみることに。
いやあ、行ってよかったです。


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これは薬師寺まで行く途中、バスから見えた法起寺の三重塔。
三重塔としては日本最古で、「純粋な」三重塔としては最大の大きさです。
「純粋な」というのは、これから紹介する薬師寺の特殊な三重塔を除けばという意味。


【薬師寺】

法隆寺からバスでおよそ30分ほど。
バスから新旧二塔を備えた、これまでに見たことない荘厳なお寺が見えてきました。
薬師寺についてなんにも予備知識がなかった僕にとっては衝撃の出会いでした。
とりあえず、伽藍内を動画でどうぞ。

薬師寺

薬師寺は天禄4年(973年)の火災と享禄元年(1528年)の兵火で多くの建物を失ったため、現在、奈良時代の建物は東塔を残すのみ。
20世紀半ばまでの薬師寺には、江戸時代末期再建の金堂、講堂がわびしく建ち、創建当時の華麗な伽藍をしのばせるものは焼け残った東塔だけだったようです。
1960年代以降、名物管長として知られた高田好胤(たかだこういん)が中心となって写経勧進による白鳳伽藍復興事業が進められ、1976年に金堂が再建されたのをはじめ、西塔、中門、回廊、大講堂などが次々と再建されたということです。

だから、古い塔と、キラキラの新しい塔とが不気味に併存しているわけですか、そうですか。


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奈良時代のまま現代に残る、東塔。
「凍れる音楽」というカッコイイ評され方をしています。
これ、実は三重塔で、間あいだにみえる小さな屋根のようなものは屋根じゃないそうです。
法起寺の写真で、「特殊な」といったのはこのため。


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一方、再建された西塔と金堂。
もとはこんなきらびやかな姿だったんですね。


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それが長年の風雨、兵火を耐えてこんなになる。
1300年近い歴史をコイツは見てきたんだなあと思うと、なんだか自分が消えてしまいそうな変な感覚に陥ります。
別に人間のちっぽけさなんてことを考えたりなんかはしませんが、こうした遺物はいつも僕をなんかどろどろに溶かしてしまうような、そういう妙な感覚を持たせる。
多分、僕はこの遺物と一体になって、どんな歴史を経験してきたのかを見ようとしているんだと思う。
なかばトランス状態に近い感じ?なのかは実際にトランス状態に陥ったことがないからわからないけど。


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やや遠景。
新旧の二つの塔が、とても美しい。

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秋篠川にかかる赤い欄干をもつ橋から。


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ちなみにこういうところにあります。
奈良ってすごいですね。

こんだけ遠景でとってもなかなかいいショットが撮れない。
どうやったら写真集のようなアングルで撮れるんだろうと思って後で調べたら全く逆の方角から撮れば問題なく綺麗に撮れるんですね。


徒労ー!!



次回は今回一番の目的地、平城宮跡。
ではまた。
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by jai-guru-deva | 2006-06-20 03:38 | 今日知る旅行

When I'm Sixty-Four.

奈良旅行の記事の途中ですが、どうしても今、載せなければならない記事なので。

今日、6月18日はポール・マッカートニーの誕生日なのです。
記念すべき64歳の。

なんで記念すべきかというとポールのビートルズ時代の曲にWhen I'm Sixty-Fourというものがあるからです。

僕なりにその詩を訳してみました。

ずっと先のことだけど、
僕が歳を取って、ハゲちゃっても
それでも君はまだ僕にバレンタインにカードを
誕生日にはワインを贈ってくれるかな。

僕が夜中の3時を過ぎても帰ってこなかったりしたら
君はドアの鍵を閉めてしまうかな。

君はまだ僕を必要としてるかな、
一緒にいてくれるだろうか。
僕が64歳になっても。

もちろん君だっていっしょに歳をとる。
もし君が’いいよ’と言ってくれるなら
ずっと一緒にいよう。

僕は’使える’んだよ。
電気のヒューズが飛んじゃっても修理してあげる。
君は暖炉の前で編み物をしていて、
そうだ、日曜日の朝にはドライブに行こう。

ガーデニングもするよ。草だってちゃんと抜く。
これ以上のことを誰が僕に望むだろう?

君はまだ僕を必要としてるかな、
一緒にいてくれるだろうか。
僕が64歳になっても。

毎年夏になったらワイト島にコテージを借りよう。
あんまり高くなかったら、ね(笑)。
だから倹約して貯金しよう。
君の膝の上には孫たちがいるんだ
ベラ、チャック、それからデイブ。

返事を手紙に書いて送って欲しい。
君がどう考えているのか、正確に書いて。
素直に、そのまま、、、。
だから「拝啓」とか、そういう堅苦しいのは抜きにしていいから。

こう書いてくれることを願ってる。
「わたしは永遠にあなたのもの」

君はまだ僕を必要としてるかな、
一緒にいてくれるだろうか。
僕が64歳になっても。




さて、実際の人生はどうやらそんな簡単なものじゃないのかも知れない。
今年のこの「記念すべき」誕生日をポールは一人で迎える。
というのも、最愛の女性リンダとの死別後に再婚したヘザーさんと、数ヶ月前に離婚していたからだ(これで元ビートルズのメンバー全員に離婚歴ついてしまったことになる)。

そう思って聴くと皮肉でもある。


>返事を手紙に書いて送って欲しい。
>君がどう考えているのか、正確に書いて。
>素直に、そのまま、、、。
>だから「拝啓」とか、そういう堅苦しいのは抜きにしていいから。

>こう書いてくれることを願ってる。
>「わたしは永遠にあなたのもの」

これは今聴くとリンダへの言葉に聴こえて悲しい。。。
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リンダとポール(ウイングス時代)

ポールには何人か孫がいるようだけど、当然ながらヴィラでもチャックでもデイヴでもない。
「アーサー」というトラディショナルな名前の子がいることをいつかライブで言ってたような記憶がある。

ちなみにデザイナーのステラ・マッカートニーはポールとリンダとの間の子。

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Stella McCartney

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ともかく。
64歳、誕生日おめでとうございます。
来年あたり来日の噂もささやかれていますが、どうなんでしょう?
一度でいいからナマで聴きたいよー。

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では!
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by jai-guru-deva | 2006-06-18 12:07 | 今日知るニュース

奈良大和路を行く。【奈良公園周辺】

奈良に行ってきました。

最近は京都にはよく出没してたんですが、よく考えたら奈良には小6の修学旅行以来行ってなかったことに気づいたのです。

今回のお目当ては平城宮跡(’へいじょうきゅうせき’と読む)。
朱雀門の内側、平城宮の広大な敷地がそのまんま残って平原と化していると聞く。
この21世紀のご時世にそんな場所あるわけねえだろ、とか思ってた僕が馬鹿でした。

平城宮跡の話は、まるまるひとつのエントリで語ろうと思うので、後回しにします。

久しぶりの奈良。とにかく大仏に鹿だろう、と奈良公園あたりを目指すことに。


【興福寺】

まずは興福寺。
明治初期の廃仏毀釈で被害を被った寺の代表例としてよく出てきます。

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五重塔の前で鹿と僕。
なんかお互い微妙な距離感です。
ていうか鹿せんべいを持ってない人間には基本興味ない。
ゲンキンな鹿どもですこと!

この五重塔、もちろん今は国宝だけど、廃仏毀釈時、なんと 25円(今のお金に換算して20万円程度)で売りに出されていたらしい。

お前はジャパネットか。

それで五重塔は薪にされそうになっていたというから驚く。

薪て。

多くの寺院が廃仏毀釈時に灰になったり木材として使われたりしたのは、なんとも言えない気分になります。
寺院関係だけの話でいうと太平洋戦争の空襲で消えた文化財よりも何倍もの数の文化財がこの時に消えていったというのだからものすごいです。

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興福寺は今は見る影もないくらい殺風景で伽藍なんてないに等しいけれど元は相当な寺域を誇っていたようです。
というのが寺内のもと食堂(じきどう)跡に建てられた国宝館に所蔵される宝物たちが物語っています。

有名なのは山田寺の仏頭。
元は明日香にあった蘇我氏の寺、山田寺にあったもので12世紀頃興福寺に伝来。
本来、薬師如来像だったのが興福寺の火難で頭だけが残って今に伝わっています。必ず教科書に出てくるのでみなさんもご存知かと。

木造天燈鬼・龍燈鬼立像というのも面白い。
いつも、強そうな力士とかにフギャって踏みつぶされてる鬼。
そいつが主役として独立した像。とてもユーモラスでかわいらしい。かの運慶の子、康弁の作。

木造金剛力士立像はまさに鎌倉時代らしい、行き過ぎた筋肉描写もさることながら、細かい血管までが表現されててびっくりするほど精緻。

5メートル超す大きな木造千手観音立像 も素晴らしい。


まだまだ一杯あるんだけど、文字で説明してもうまく伝わりそうにないので割愛します。
是非行って実際に観て来てください。



【東大寺】

それから奈良公園を横切って、東大寺へ。

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南大門前。
やっぱ東大寺は人多い。

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鹿と南大門。
鹿の角って産毛が生えてるんですね。先も案外丸い。

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有名な仁王さん。

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大仏殿。でーん。
ここには僕は修学旅行の前にも来たことがあって、たしか三歳くらいだったかな。
家族旅行で来て、ここの大仏様を観た途端、大泣きして二度と大仏殿に入ろうとしなかったようです。それからなんかヘソを曲げちゃったらしく、あの「大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴」があいた柱もくぐらなかったから、僕は一度もあそこを通れなかった。悔やまれる。


東大寺

南大門、大仏殿を撮った動画です。
音量注意。

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大仏殿内隅に放置されるお宝。
うん、放置されてるって言葉が似合うと思うんだ。
ちょっと哀愁を帯びて映ってる。

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ゴミ箱って漢字で書くとこうなんだって。

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鹿の一家。
鹿って家族単位で行動するのかな?
なんかこういう、親父、おかん、子供っていう構成に見える集団が多かった。
ちなみにこの写真、親父の角が木の枝に引っかかってテンパッてるところ(笑)


東大寺も廃仏毀釈時に危うい目に遭っている。
あと一歩で大仏殿に大砲が撃ち込まれるところだったそうですよ。さすがにそれは地元の人が反対してことなきを得たんですが。

ただ、大仏殿は興福寺と同じく幾度も焼失、再建を繰り返してきました。
平安末期の平重衡による南都焼討
戦国時代の三好対松永の戦い

平重衡は清盛の子。
平氏に対抗する興福寺や東大寺の勢力を攻撃した際、焼く気はなかった大仏殿まで延焼してしまう。
以降、重衡は南都勢力の仇敵として恨まれる。
平氏滅亡後、源頼朝の庇護を受けていたが再三の南都勢力からの重衡引き渡しの要求に頼朝も困り果て重衡を引き渡す。
重衡は斬首の上、晒首にされる。

松永とは松永久秀のことで、戦国時代一の奸雄と悪名高い。
織田信長に
「この男はこれまでに3つの悪事を働いた。
1つに主家殺し、1つに将軍殺し、1つに南都東大寺大仏殺し」
と言われている。
主家殺し、というのは、もともと仕えていた三好家を乗っ取ったこと。
将軍殺しとは、室町幕府13代将軍足利義輝の暗殺。
そして大仏殺しが、この奈良の大仏殿の焼き討ち。
ただ、このときの戦いは、三好側が東大寺に陣をはると言う卑怯な手を使ったのが悪いんじゃないかと思いますが。しかも、松永久秀が故意に焼いたわけじゃなく、失火であるとの説が有力。
さらにむしろ三好側からの失火だったという説もあるようです。

けれどどっちにしてもこのおっさんの生き方は凄まじい。
若い頃の経歴は一切不明で、三好長慶の家来として名を現してからはむくむく台頭。
長慶の信用を得て、幕政にも参加。長慶病没後は主家を上回る力を持って幕府の傀儡化を目論む。
幕府再興を目指すデキメン足利義輝との確執の末、あっさり将軍暗殺を計画して成功させる。
織田家が力を持つと知るとさっさと織田に恭順。
武田信玄上洛の情報を聞くや15代将軍義昭と結託して織田に謀反。
信玄が上洛途中に病死して引き返すと、惜しげも無く家財を信長に差し出し、許してもらう。
けれど今度は上杉謙信と織田が対立するとみるとまたも謀反。
織田の猛攻に遭い、籠城戦いの末、平蜘蛛という茶器を抱いて爆死。

凄まじすぎる。

最後の言葉は
「この白髪首と平蜘蛛だけは信長にはわたさん」

平蜘蛛と言う名器を信長は再三所望していたようで、このときも平蜘蛛をわたせば命を助けるとまで言っています。

また、信長は松永久秀のことを恭順した際、久秀も同席の上で徳川家康にこう紹介している。
「このじじいほど油断のならない者もそうはいない」


あああ、またはなしがどんどんそれていっちゃった。ダメだなあ。。
最後は戦国時代の話になってしまったけど、松永久秀自体、奈良の武将なので、奈良つながりということで。

次は、法隆寺、薬師寺についてです。
ではまた。
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by jai-guru-deva | 2006-06-15 17:10 | 今日知る旅行

XFMの殿堂決定。

以前言ってたXfmの殿堂入りが決まったようです。
Xfmの殿堂候補。

果たしてだれだと思いますか??



The Clash



正直、エェェェェェ
でした。
レディへかミューズかと思っていたので。。。

BARKS The Clash 殿堂入り

ところでこのBARKSの記事で面白いのを発見しました。
BARKS パンクを聴いていて、テロリスト容疑

以下BARKSより引用。
飛行場へ向かうタクシーの中でパンクを聴いていた男性が、テロリストの疑いをかけられ警察から事情聴取を受けた。男性は車内でザ・クラッシュを聴きながら歌っていたところ、運転手に危険人物と判断され警察に通報されてしまったという。

タクシーの中にMP3プレイヤーがつなげるシステムがあったため、ハラージュ・マンはザ・クラッシュやレッド・ツェッペリン、ビートルズなどを聴いていたそうだ、しかしザ・クラッシュの'79年のヒット曲「London Calling」に合わせ歌っていたところ、ドライバーはその歌詞「Now war is declared〜and battle come down(戦争が宣言された/戦いが始まる)」に危険信号を発したという。

マンは、こう話している。「プロコル・ハルムをかけたら、ドライバーは気に入ったみたいだったんだ。だからオールディーズが好きなのかって思って、ツェッペリンをかけた。それからロンドンへ行くところだったからクラッシュ(「London Calling」)を流して、その後ビートルズにしたんだよ。運転手はツェッペリンもクラッシュも好きじゃなかったみたいだな。でも何も警察を呼ぶ必要はなかったよ」

飛行場で警察から尋問を受けた彼。危険がないと判断されたころには、乗るはずだったフライトはすでに飛び立ってしまった後だったという。

Ako Suzuki, London



ははは。
神経過敏すぎるけど仕方ない。
昨年の地下鉄同時多発テロからさらに過敏になってるんだろうな。

かたや殿堂入り
かたや牢獄行き

パンクってのはすごい触れ幅を持つんですね。
ジョー・ストラマーたちはやっぱり天才なんですかね??
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by jai-guru-deva | 2006-06-04 14:51 | 今日知る音楽