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江戸城展。

昨日、後輩の子と両国は江戸東京博物館で行われている「江戸城展」に行ってきました。

江戸城展自体は、ものすごく目新しい!ってことはなかったけど、最後の3Dによる江戸城本丸の再現はすごく良かった。
3Dの技術の進歩はすさまじく(僕も日々最近のゲームで慣れているだろうに、何をいまさらといわれるかもしれないけれど)、これは感動する仕上がりでした。
というのも、数年前までの歴史展での3Dによる再現は見れたもんじゃなかったんです。正直。それがいまや、襖の絵の精緻さ、透かし彫りの再現、物体の質感、これは本当に舌を巻きます。

あと、江戸の町を徳川家康がゼロから創ったみたいな江戸幕府が作り上げたデタラメを廃し、太田道灌のことはもちろんだけれどもともと江戸にいた江戸氏という豪族のことからキチンと説明していたのは良かったです。

江戸東京博物館はなんといっても常設展が面白くて、ちょっとしたテーマパークみたくなっているのだけど、今回も楽しめました。

常設展は

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日本橋を再現したこの橋を渡ることでスタートします。
二階と一階とに分かれていて、二階では常設展の中の企画展、みたいな感じで定期的に展示を変えています。
今回は14代将軍徳川家茂のことを取り上げていました。ちょっとだけマニアックですね。

一階部分は江戸と文明開化以後の東京を戦後まで、建造物なんかを復元したり、ジオラマが一生懸命動いたり、とただ見学するだけではなく、体感できるつくりになっています。

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こういう江戸の町を再現したジオラマもあって、備え付けられている双眼鏡でその町を覗くと、まるで鳥になって俯瞰しているような気分になれて楽しいです。

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これは葛飾北斎のアトリエを再現したもの。なんだか老獪そうなおじいさんが80歳の北斎をイメージした人形。

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これは花街ゾーンにある原寸大の花魁の人形。
実際に見るとものすごく華やかですよ。


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明治東京ゾーンに行けばこんな、日本初の公衆電話のレプリカもあります。
「自働電話」と書かれてあるのもなんか可愛いです。

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こういうレプリカは大概、こうやって中に入ったりして当時の様子を体感できるようになっています。
この電話機は、受話器をあげると説明が聞けるようなつくりになっていました。

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ぼくの後ろにある塔は明治から大正期に浅草にあった「凌雲閣」という塔の模型。
「雲を凌ぐ」という名の通り、地上12階、52メートルの高さを誇り浅草の、というより首都東京のランドマーク的存在だったようです。
日本で初めて電動エレベーターが設置されたりもしたそうですが、故障が頻発してわずか1年間で使用停止になったようです。
そのため、一番上の展望室までは階段で行かなければならず、
かの石川啄木も

浅草の凌雲閣にかけのぼり息がきれしに飛び下りかねき

と詠むほどでした。
彼だけでなく、北原白秋や江戸川乱歩、芥川龍之介といった多くの文豪たちにも愛された凌雲閣でしたが、大正12年の関東大震災で半壊、その後、震災後復興の第一歩として、爆破処理されてしまったとのことです。


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当時の円タク。
タクシーのクセにフォード。
時代を感じます。


このほか、文化住宅とかいろんな建造物たちが迎えてくれる、江戸東京博物館。
特にいま東京に住んでいる人には興味深い展示になっていると思いますよ!
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by jai-guru-deva | 2007-02-28 20:55 | 今日知る歴史

サクラサク?

ちょっと用があって大学の辺りをふらっと散歩していると、、、



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おおおおおおお。


暖冬がやべえとは聞いてはいたが、



満開じゃないですか。



大学の南門あたりにある桜で、毎年、ちょっとはやめに花を咲かせる品種なのだけれど、いや、だってまだ2月ですよ。

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うーん、見事に咲いてます。
何か奇妙な感じですね。。。


最近まで、大学入試が行われていたようで、たくさん受験生が来ていたけれど、この分じゃあ残念ながら今年の一年生は、新歓期恒例のお花見は、完全に葉桜なんだろうなあ。



ところでいま、ウチの大学のシンボル、大隈講堂はこんなことになってます。

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以前は全部シートで覆われていたんだけれど、今は時計台のみを覆っています。
入学式までには間に合わせるだろうとは思うけど、卒業式までにはどうだろう?

卒業式までに完成しちゃうと、大隈講堂の大改修があったから僕は卒業を見合わせたといういいわけがきかなくなっちゃうなあ。





ところで。
しばらく更新しないうちに、エキサイトブログが超使いやすくなってる。
ボタン一つで字をでかくしたり
出来るようになってるー。

更新意欲をくすぐります。ふふふ。
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by jai-guru-deva | 2007-02-28 18:24 | 今日知る現実

二億テールの謎。

先日、先輩方に呼ばれてお酒を飲んでいたところ、ある破天荒な先輩がいつもどおりおもむろに

「下関条約の二億テールってなんだよ」

とおっしゃった事がきっかけで、場は騒然、二億テールの大合唱になりました。
実際僕もかなりツボにはまり、
「2億テールwwwwwww」
と大爆笑したんですが。

二億テールっていったい何なのよ。
日清戦争の講和条約で、テールって言う意味のわからん単位を何故使ったのか。
そもそもどこの単位なのか。何故そのときだけ、「テール」が使われたのか。テール札とかあんの?両と書いてテールと読むのはどういう意図?明治時代にもなって、両ってどういうこと??

そもそも僕たちは中高生のころ、何故、日本史の時間にそこに疑問を持たず、スルーして大人になってきたのか。



というわけで

はい、調べてみました。

まずは日清戦争と下関条約についておさらい。


1894年5月に朝鮮で農民反乱である甲午農民戦争(東学党の乱)が起きました。朝鮮政府はこれを鎮圧するため、清に派兵を要求。

日本は、清によるこれ以上の勢力拡大を恐れていたので、朝鮮政府からの派兵要請を受けていないにもかかわらず、公使館と在留邦人の保護を口実に1万人規模の大軍の出兵を決定しました。事態の悪化にあわてた朝鮮政府は農民の要求をほぼ全面的に受け入れ、6月10日に停戦。

甲午農民戦争の停戦後、朝鮮政府は日清両軍の撤兵を要請しましたが、どちらも受け入れないどころか、日本は朝鮮の内政改革を求め、朝鮮政府や清がこれを拒否すると、7月23日に王宮を占拠して、親日政府を組織。
清がこれに対して抗議して、対立が激化します。

日本は開戦に備えてイギリスの支持を得ようと条約改正の交渉を行い、調印に成功、そして、ついに開戦となりました。

そしてこのイギリスこそがテールの鍵を握るのですが、それはまだ後で。

戦争は日本の勝ち(というかイギリスが水面下で講和を斡旋しまくった結果の勝ち)におわり、下関で清国全権大使、李鴻章と日本国全権大使、伊藤博文・陸奥宗光とが講和交渉をして、日本は清に以下のような条件を認めさせていますが。。。


1.清は朝鮮の独立を認める。
2.清は遼東半島・台湾・澎湖島を日本にゆずりわたす。
3.清は賠償金2億両(テール)を金で支払う。






3.清は賠償金2億両(テール)を金で支払う。









3.清は賠償金2億両(テール)を金で支払う。









3.清は賠償金2億両(テール)を金で支払う。










ぶはっwwwww

なーぜ、漢字文化圏の両国にテール??
円ではなく両??


そこで忘れてはならないのが、この講和条約を水面下で動かしていた国。

そう、イギリス。



そして間違えてはならないのが「両」というのは日本のではなく清の重量単位。




それらから、両(テール)というのは以下のように説明がつくのです。

※以下、教えてgooのベストアンサーより。




テール (tael)
中国の、重量および銀貨の単位「両」の英語名。


【両】

種別  清国の通貨単位

名称  両、兩(りやう・テール ・tael)

意味  一両は十銭に等しい

備考  1テールの銀幣は銀の重さで取引され、対外的な銀取引の基本単位になります。

「2億両(テール)重量単位」・・・・約3億1千万円







というわけで、テールは清両の英語読みで、イギリスが介入していたためにそう記されたようです。
両は通貨以前に重さの単位であるので、2億両分の金(きん)を日本に支払え、というものだったようですな。













けど。



2億テールは面白すぎです、やっぱり。

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by jai-guru-deva | 2007-02-06 17:34 | 今日知る現実

節分の日。

今日は節分の日でしたね。

みなさん、鬼退治はお済でしょうか。

僕は鬼退治はしていないけど、恵方巻きを食べました。
一人で。コンビニの。

うん、一人で超ニコ~ってして食べてやったよ。

今年の恵方は北北西だそうだ。


節分の歴史って面白くて、今回はその話でもしますね。

節分というのはいわずもがな、季節を分ける、という意味で立春・立夏・立秋・立冬の前日のこと。
何も2月3日に限ったことじゃなかったようです。

ところが江戸時代くらいから立春の前日、つまり2月3日ごろをさすようになったとか。
そもそもが宮中の年中行事ということだったけど、いつの間にやら、季節の変わり目には鬼がでる、悪いことがおきる、といわれるようになって、豆をまいてそんな邪気をはらおうとしたことから豆まきがはじまったようです。

季節の変わり目に鬼が出るってのは面白いですね。
僕なりに考えてみると、季節の変わり目って病気したりなにかと調子悪くなるから、昔の人は鬼の仕業にしちゃったのかなあ、て思うんですがどうでしょうか。

でもなんで豆をまくんだろう??

豆が健康にいいものだからかなあ??

なんか地方によっては大豆じゃなくて落花生のところもあるとか。
これならまいた後も殻をとって食える、と。

考えたな。



恵方巻きについては、上京したてのころ東京の人の習慣にはないと知って驚きました。

僕は岡山出身なので、節分といえば豆まきと恵方巻き丸かじり、と相場が決まっていたものだから。

そもそも恵方巻きは江戸時代の大阪、船場商人の商売繁盛の祈願に始まったことのようで、後に商魂たくましい大阪の海苔屋さんが海苔の販促事業で広めたようです。それが1970年代というから、歴史もクソもあったもんじゃないですね。

けれどもその海苔屋さんの頑張りのおかげで、僕の実家の岡山では小さいころからみんな当たり前のように恵方巻きを食ってました。

それが1998年にセブンイレブンが恵方巻きを全国で売り出したために、もはや全国区の行事になりつつある。
それを商業主義的だとの批判もあるけれど、もともと1970年代に海苔の販促事業として始まってて、そもそもが商業主義的なものだから、そんな批判はナンセンスだと思います。

けれども地方限定だった行事的なものが、コンビニなどによって瞬く間に全国に波及するってのはなんとも、節操ないことだなあともおもいます。


恵方というのは、年徳神(としとくじん)というその年の福徳をつかさどる神様のおわす場所で、その方向に向いて事を行えば、万事において吉となるというとっても都合のいい神様。
その由来は諸説あるらしいのだけれど、一般には、とっても美しい女の神様ということになっているらしく、僕のように男性からすれば、もう、とってもすばらしい神様といえますね。

その年の恵方を向いて海苔巻きを食べると福が来る。
とてもすばらしい習慣じゃあないですか。

食べるときの作法も地域によってそれぞれで、僕の実家では、願い事を胸に秘め、笑ったまま、無言で食べきるという苦行に近いことになっていました。

みなさんの地方ではどうなのでしょう?

今回は節分についてでした。

一月はわずか2回の更新になってしまって残念だったなあ。
書きたいことはいっぱいあるのに、ここのところちょっとだけ忙しいもので。
今月はもっとちゃんと更新しまーす。
それでは。
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by jai-guru-deva | 2007-02-03 23:33 | 今日知る現実