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中国旅行記 襄樊編。

【9月30日 日曜日 襄樊 小雨】

※10/31追記。

19:00に乗り込んだ長距離バス。
発車してすぐに最寄りのガソリンスタンドへ。
襄樊ー上海間でもそうだったけど、どうやらあらかじめガソリンを入れておくということはしないらしい。ガソリンを入れてる途中、ガソリンスタンドのトイレを使ってトイレ休憩も兼ねている。

車内にはテレビがあり、歌番組やら、映画やらが爆音で流れる。
寝台なんだから、もうちょい音をおとしていただきたい。

とか思ってたら、それでも疲れてたのか、うとうと。
深い眠りに落ちることはなかったから車が大きく揺れるたびに目が覚める。
いつの間にかテレビは消えていた。

00:30
山の中のボロい飯屋で強制的に休憩をとらされる。
全員、寝ている人も起こされてバスを降ろされる。

どのくらい停車するのか分からなかったからとりあえず、一緒に乗ってた人に張り付いて様子を窺う。

カップラーメンを買って食べだす人、店の料理を食べる人、とどうやら余裕がありそうだ。
とりあえず、一服。。。

トイレはこの旅で最も悲惨なことになってて面白かった。

結局1時間ほど休憩してまたバスに乗り、うとうと。
やたらと夢を見た。それも眠りが浅いからだろう。
こんな夢。
両親が登場して、モンゴル(今回の旅は、当初モンゴルに行こうと思って企画されたものだったけど、紆余曲折を経て中国だけになった。なのでどこかに未練があったのかも)まで車で送ってもらった。
「1泊してからかえるわ」
と僕が言うと
「1泊と言わず、何泊かしてくりゃええがな」
と父。
場面が変わって、伯母に、僕のブログが重すぎると言われ、祖母とも話をする。。。
という内容。

親戚総出。
ホームシックなのかな?

そんな夢が覚めた頃、ちょうどバスが止まる。
何人かの人がバスを降りて行く。
まさか襄樊?
と思って運転手さんにチケットを見せて確認すると、その通り、到着らしい。

外はまだ真っ暗。
時間はまだ4:30をすこし過ぎたくらいだった。

僕はゆっきーに目配せをして、着いたらしいことを伝え、下車。

ゆっきーはここで車内に眼鏡を失くしてしまう。
再度、探しに戻ったものの、眼鏡は見つからず、バスは次の目的地へと去ってしまった。

降ろされた場所は、バイパス道路のようなところ。
道以外、建物が見当たらず街のような雰囲気はない。

下車した客にはタクシーの運転手が寄ってきていて、各々タクシーに乗って何処かへ消えて行く。
僕たちはこの旅でまだタクシーを使ったことがないので、もの凄くタクシーを警戒していた。
降りてからずーっとタクシーの運ちゃんがくっついていたが、とりあえず、現在地を教えてもらい、自力で歩けるなら歩こう、と決めた。
ところが、タクシーの運ちゃんに地図を見てもらうと、どうやら市街からかなり離れているらしかった。
なのでその運ちゃんのタクシーに乗る。

襄樊駅へ。

バスを降りた場所からタクシーで30分。
襄樊駅に到着。
いくらだったか忘れたけど、安かったから正規の値段だったんだと思う。

それが早朝5:00。

早速切符売り場へ。
上海への切符をとるためだ。
襄樊では一泊もしないつもりだったので、その日の切符を見ても、全くない。
次の日も無し。

こりゃ、またバスだな、とバスターミナルがあくまで、駅の食堂で朝ご飯。

バスターミナルへ行ってチケットをとる。あっさりとれる。
ただし、出発はこの日の13:20。
強行で襄樊を巡り、バスに乗って上海へで最後の3日間を過ごそうという計画。

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駅に戻り、記念撮影。

さて、襄樊。
漢江を境にして、北側が樊城、南側が襄陽、という二つの街が合併して出来た都市だ。樊城の方は、長距離列車が止まる駅(上の写真がそう)があり、高層ビルなんかも建つ商業地。対して襄陽は、明代の城壁に囲まれ、清代の風景を残す情緒溢れる街。

何故僕がここに来たかったかと言うと、樊城も襄陽もともに三国志の舞台であるからだ。
襄陽は、後漢末期、荊州刺史(地方長官)劉表の本拠地で、漢江の水運から古来より交通、流通の要衝として栄えてきた。
三国時代だけでなく、中国史において幾度と無くその表舞台に立つ重要な街なのである。
一時期劉備一行も劉表の庇護下にいたこともあった。
赤壁の戦いの直前期である。

劉表と劉備。
この襄陽近くの壇溪という渓谷で面白いエピソードがあります。
劉備はある時、山賊を討伐し一頭の馬を奪った。見れば見るほど名馬なのでそれを、日々の恩返しにと劉表に譲った。
しかしすぐに、

「こういう名馬は君のような英雄にこそ相応しい。私にはとうてい乗りこなせまい」

と返されてしまう。
実は、その馬は額に白い模様を持っていて、そうした馬は持ち主に不幸をもたらすとして中国ではそういう相を持った馬を「的廬(てきろ)」と呼んで、忌み嫌ってきた。劉表は部下の進言でそれに気づいて、劉備に返したのだった。
そんなこととは知らず、乗って帰る劉備。
そこに劉備シンパの劉表の部下、伊籍がやってきて、その馬のことについて教え、的廬を捨てるように勧めた。
しかし劉備は

「私の運命は天によって決められている。一頭の馬ごときに決められるはずもない」

と一笑にふした。

その後、劉表が死に、家督相続の混乱の最中、曹操の圧迫によって曹操軍の軍門に降った旧劉表軍。
劉備を捕えんとする曹操軍に壇溪という渓谷に追いつめられ、絶体絶命の劉備。そこで劉備は的廬に向かって

「お前の悪評を取り払うときがきたぞ!」

と叫ぶや、谷に向かってジャンプ。

的廬は一度は川に飲み込まれそうになるも、跳ね上がり、見事、劉備の命を救ったのだった。
それ以後、的廬は劉備の愛馬となっている。



これは三国志演義に入っているエピソードで、多分に創作のニオイがするけど、この壇溪、現在も残っているという。
今回は時間の関係で行けなかったけど。

また、樊城は、魏の名将曹仁が守った城で、関羽がこれを包囲し、荊州攻防戦の一大戦地になった。
だけど、樊城の方には昔の面影は一切無い。

では、他に何があるのか。


襄陽の南西に隆中という山があった。
天下には「臥龍(眠れる龍)」と「鳳雛(鳳凰の雛)」という二人の賢者がいて、いずれか一方でも得ることが出来たら、天下をとれると言われた逸材が潜んでいるという。

隆中には「臥龍」と呼ばれる人物が晴耕雨読の生活を送りながら隠棲しているという。

折しも劉表に匿われていた劉備がこの話を聞きつけ、自ら、関羽、張飛の2人を引き連れ「臥龍」と会うため、隆中の山中まで出かけて行った。
しかし1度目は留守。
2回目は同居する弟がいたものの、「臥龍」はまたも留守。

3度目。
とうとう「臥龍」は劉備の前に姿を現す。
劉備は自らの漢王朝復興を願う真摯な志を語り、「臥龍」の心を揺り動かす。
「臥龍」は天下を北方を曹操の「魏」、南方を孫権の「呉」、そして荊州を足がかりとして空いた西側、つまり益州を中心とする「蜀」との3つに分け、鼎のように力を分散させる「天下三分の計」を説く。
そしてそのために、劉備の下で働くことを決意した「臥龍」はとうとう隆中の庵を畳み、出淵を決意する。

このことが後に「三顧の礼」と呼ばれ、この時「臥龍」と呼ばれていた人物こそ、蜀漢の丞相、諸葛亮孔明なのだった。



ちなみに。
「鳳雛」と呼ばれた龐統という軍師も後に劉備軍に入ってますが、結局天下はとれませんでしたね。。。

まあながながと書いたものですが、そんな諸葛亮が劉備と出会うまで10年間暮らしていた隆中。
行かざるを得ないわけですよ、僕としては。

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7:30
古隆中行きのバスに乗る。
一時間後。

古隆中着。


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バイクタクシーなんかがいっぱいいるけど無視して歩く(バス停から歩いて10分弱です)。

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隆中まではこんなのどかな一本道。
孔明がいた頃を想像するのも難しくない。

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何屋さんなんだろ。



料金所でチケットを買い、いよいよ隆中に入る。

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ゲートをくぐるとすぐに「古隆中」の文字でお出迎え。

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こうした、古隆中に残る建物はほとんどは清代のものだそう。
あ、もちろん三国時代のものなんて何も残ってないですよ。

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もともとが山なのでこうした石段がいたるところに。

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この石段を登り終えると、「三顧堂」に到着。
三顧の礼を記念する建物。


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壁画は、三顧の礼の場面を描いていた。

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劉備(左)に「天下三分の計」を説く諸葛亮(右)

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外で待つ関羽と張飛(笑)


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草庵があったという場所には、庵を復元してあった。

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この家で孔明は、17歳から27歳までの間、晴れた日は畑を耕し、雨の日は読書をして過ごすという晴耕雨読の生活を送ってきたという。

そして自分が仕えるべき大人物の出現を待っていた。

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こうやって膝を抱えながら。


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現在庵が建っている場所とはちょっと離れた場所にこのような碑があった。


さて。
ここ古隆中はとても広い。
ふと森の奥を見ると、山の斜面に沿って階段が続いていた。

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濃くかかった霧が、とても幻想的で、いまにも孔明が「你好」とか言って出てきそうだった。
孔明が三顧の礼に応じて、劉備に仕官したのが西暦で208年のことだから、ほとんどちょうど1800年前のことになる。
1800年前、諸葛亮がここで、同じように霧のかかった風景を見ながら悠々自適の暮らしをしていたことを想像しながら登る。

しかし
登れども登れども、先は見えない。
上に何があるのかも分からないけれど、一度登りかけたから、途中で降りるのは癪だ、と登りつづける。。。
なんか中国に来てから登山みたいなことばっかやってるなー。
とか話していると。。。




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なんかすごい塔出たー☆

頂上にはどでかい塔。

この時点でまだ9:00。
この中は一階が食堂になっていて、それより上は、人形を使った孔明の一代記説明展示になっていた。

店の人はいるにはいるんだが、朝早いため、やる気はない。
僕たちが入っても新聞をよんだまま知らんぷり。

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入り口に掲げられた孔明の絵と彼にまつわるエピソード。

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この濃い霧で、当然視界はゼロ。
けど晴れてたらきっとかなり遠くまで見渡せるんだろうなあ。
襄陽の街でも一望できるんだろうか。

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高いです。
山をかなり登った上にこのデカさの塔の上ですからね。
具体的な山の標高とか塔の高さとかはわからないけど、相当高いのは分かる。



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塔を降り、山を降る。。。


三顧堂まで降りると、そろそろ10:00をまわる頃ということで観光客も増え始めてきた。

と。

僕はまた、見てしまったのだ。

そう



(;´Д`)コスプレ



僕たちが始めここを覗いた時には何も無かったのに、客が来始めて店開きしたようだ。


どうしても諸葛亮になりたい。

これが同一化欲求というやつか。
その欲求は僕を簡単に取り込んでしまいました。

というわけで。。。

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やっちゃった。。。


うーん。でも関羽の時よりかは、自分には合ってるんじゃないか。
やっぱり文官タイプですね、僕は。うんうん。
諸葛亮かと言われれば微妙ですが。

白い服に頭巾のが諸葛亮ぽいと思うんだけどなあ。
あーこういうコスプレのコーディネーターになりてえ(歴史物限定)。

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東南の風を呼ぶ孔明ごっこ。

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ちなみにこの手に持ってる扇。
孔明のシンボルですが、古隆中入り口にある売店で10元だったので僕の分ともう一人誰かさんへのお土産として買ってきたんですが、現在のところ誰ももらってくれません(笑)
誰か、孔明ファンの方、もらってください。マジで。捨ててしまいそうです。

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ゆっきーと一緒に。
お店のおばちゃんが撮ってくれた。

これだけ遊べて、なんと

10元(約160円)

関羽コスプレは49元したのに対し、これは安い。
びっくりした。

あらかた満足したので帰る。


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バス停まで戻ると、市場の準備をしていた。

古隆中の次の目当ては、襄陽城城壁。

バスで西門へ。
古隆中付近は大学がいっぱい。
やっぱり孔明にあやかりたいからか。

11:30
西門下車。

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門とは言っても、今は門は無くて道路になっている。

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ひび割れ、「危険」と書かれている。
こういった老朽具合がたまらない。

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登る。
北門に登るにはお金がかかるけど、西門はタダ。
市民の散歩道にもなっているようで現地の人たちも何人かブラブラ城壁の上を歩いていた。

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城壁を北に向かって歩く。
右(東)側は城壁内の街が続く。
左(西)側は漢江が流れる。

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襄陽城北門。

3元払って登る。

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宋代、明代、清代、中華民国と時代時代の城壁の煉瓦を展示。

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城壁から漢江を見る。

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人形の兵士が城壁を守っていた。



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城壁内は、北門街といって襄陽で最も栄えている通り。
街の中央にある鐘楼までずっと続く。


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城壁を降り、下に行ってみることに。

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北門。

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北門街。
とても栄えていて活気に溢れていた。
清代の町並みをよく残しているそうだ。

特に面白かったのが、玩具屋。
ガンプラの精巧な偽物を発見。
僕が就活中、バンダイを受験した時、説明会で法務部の社員さんが中国で出回っている偽物ガンプラについて教えてもらった。
その時、その社員さんが持ってきていた偽物、それと全く同じヤツ。

まず、パッケージ。
ぱっと見、本物のガンプラと遜色ない。3Dの絵もばっちりキマっている。
マスターグレードとも書いてある。
バンダイのロゴまでほとんど同じ。
「日本的最高技術」
的なことも書いてあった。
値段も日本で買うマスターグレードとほとんど一緒。
高い。
もうちょっと安ければネタにでも、と買おうとしたけどやめておいた。

ちなみに、この次訪れる上海では、正規品を見かけたが、値段は日本のものの1.5倍〜2倍近かった。一体誰が買うのだろうか。。。

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街の中心にある鐘楼。

この近くのマクドナルドで昼食。

既に12:30を過ぎていて、バスの時間を間違えていたことに気づき、ハンバーガーを受け取るや、タクシーをつかまえ、襄樊駅へ。

13:00
なんとかバス停に着き、自分たちのバスを探して乗り込む。

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今回は一番後ろ。
バックパックも下に積んでくれたから楽。

13:20
出発。
襄樊滞在わずか8時間。

これから最後の都市、上海へ。

一体何時間かかるのやら。。。

ではまた。
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by jai-guru-deva | 2007-10-29 23:58 | 今日知る旅行

中国旅行記 西安編その3。


【9月29日 土曜日 西安 小雨】

9:00頃起床。
10:00頃、ユースを出る。
ユースのおじいちゃんが本当いい人で、とても親切にして頂いた。

襄樊へのバスの切符を買いにバスターミナルへ。
19:00発のバスを予約。

バスは結構容易くとれることが分かる。

バスをとって、襄樊までのルートは確保したので、西安最後の日、観光に出発。

この日のメインは西遊記でおなじみ、三蔵法師こと玄奘のゆかりの寺、慈恩寺、大雁塔。

慈恩寺というお寺は唐の第三代高宗が、亡くなった自分の母親の菩提を弔うためにその慈恩を追慕するという目的で648年に建てられました。
現在のものは唐代末期の戦乱の影響なんかで当時の規模の10分の1程度になってしまってます。

シルクロードを通って西域を歴訪し、インドに遊学した三蔵法師玄奘(このときの話をモティーフにしたのが西遊記ですね)は、帰国後、慈恩寺を素晴らしい寺だとしてここの境内に塔を築き、インドから持ち帰った仏典、仏像などの保管にあてたいと、高宗に申し出ました。
その願いが聞き入れられると、玄奘はインドの卒塔婆(ストゥーパ)を真似た5層の塔を建立しました。これが大雁塔で、652年のことです。

玄奘は塔に仏典、仏像を納め、自身もこの寺で11もの間、持ち帰った経典の翻訳作業を行いました。


大雁塔に通じる道沿いは電気街みたいになっていて、家電量販店なんかがあったので面白そうだから降りてみることに。


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こんなところでも兵馬俑は大活躍。
胸の部分がモニターになってます。

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中国でもやっぱりiPodは人気なのか。。。。
ん?
なんか違う。。

これ、もの凄いパクリ具合。
ボタンがちょっと違うだけで、あとは画面から配色からなにから全部瓜二つ。
黒ヴァージョンもありました。
大売り出しされてましたよ(笑)


家電量販店を出て、またブラブラしてると、怪しい個人経営のゲーム屋を発見。
覗いてみる。

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いつのか分からんソニックなんかもいた。

プレステやスーファミで発売されたはずのもが一緒くたになってPC用ソフトになって売られていたり。どうやってるんだろ。

あと、コーエーのPC版三国志11(現時点での最新版)が置いてあり、なんと

69元(およそ1100円)

コーエー製品は高値で有名で、日本で買おうものなら、中古でも6000円はする。パワーアップキットという拡張版がついてたら8000円は下らない。

偽物臭もプンプンするので、迷った挙げ句、やめておいた。
このときは。
このときは、ね。


いろいろと油を売って歩いていたため、大雁塔に着いた時にはもう13:30になっていた。

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玄奘と。後ろに見える塔が大雁塔。

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塔は建立当時は5層でしたが、現在は7層。
これはどういうことかというと
一度、則天武后が10層に大改築をして、その後戦乱で7層から上が崩壊してしまったようなのです。

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中へ。
ちなみにここでも学割に成功しました。

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こう螺旋状になった階段を上っていきます。
内部は完全に改築してますね。

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塔の3層目位から。
伽藍の配置がよく分かります。


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最上階からは西安市街が見えるはずなのですが、生憎の雨のため、視界不良。


大雁塔を降りて、陜西省歴史博物館へ。

その前に。

やっぱり「三国志11」が気になって、またゲーム屋さんに戻ることに(笑)

結局。
三国志11購入。
さらに、中国のオリジナルの「三国英雄伝6」というシミュレーションゲームも購入(59元)

近くのファーストフード店に入り、ゲームを開封。

なんと。

どちらも完全オフィシャル品でした。

万歳。
てっきり偽者だろうな、と思ってたけど正規品でうれしい。
三国英雄伝の顔グラ(武将の顔のグラフィック)がコーエーのものと瓜二つで爆笑。

自分たちへのいい土産になりました。
あ、もちろん全部中文です。

実際に三国志の方はやってみたけど、良い雰囲気でしたよ。
コマンドは何となく分かるし
途中のイベントも三国志を知ってれば、何をやっているのかも理解できる。
もちろん詳しい台詞の内容までは分からないけど。


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陜西歴史博物館。
ここでは学割失敗。基準がわからんぞ。
陜西省の歴史を石器時代から、発掘された文化財をもとに展示してありました。
B.C.5000年くらいにはもう鼎型の土器なんかが出来てて面白かった。

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見学を終え、出ようとすると、解放軍がやってきて、国旗掲揚を始めだした。
いつものことなのか、国慶節が近いからか、どっちなんでしょう。

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去って行く人民解放軍。
見た感じ、まだあどけなさが残っていて僕たちよりも若く見えた。


見終えて、外に出てみればもう17:00。
空海が密教の修行をし、それを伝授された寺、青龍寺にも行ってみたかったけど、時間的に厳しいということで、バスに乗り、バスターミナルへ戻ることに。
空海と西安についてはこのサイトが面白かった。
西安点描

18:30結構ぎりぎりでバス停到着。
バスも荷物検査があるはずなのだが、荷物を通す機械だけあって、検査はしてなかった。
待ち合い室に行っても一向に案内はなく、自分たちでバスがいっぱい停まってる駐車に出てみた。
バスのフロントガラスに行き先が書いてあるので、それを見て襄樊行きを探す。
ようやく見つけて、乗り込む。
その狭さに唖然。
普通のバスに二段ベッドが3列。
一人分のベッドの広さは、縦が約1畳横が2/3畳といったところか。
寝返りすらうてない。

襄樊までおよそ9時間。
しかも襄樊は途中駅。寝過ごすと大変だ。気が抜けない。

次回は、バス車内の様子〜襄樊、古隆中諸葛亮孔明の庵、襄陽城です。
ではまた。
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by jai-guru-deva | 2007-10-25 20:51 | 今日知る旅行

中国旅行記 西安編その2。

【9月28日 金曜日 西安 小雨】

結局韓国の彼と午前3時まで話し込み、そのまま部屋に彼を泊めて、この日は朝8時頃に起床。

近くのレストランで彼と一緒に朝食をとることにしました。
僕たちがこの日は兵馬俑や始皇帝陵に行くと言うと、彼は前日に行ってきたらしく、バス停とかいろいろ親切に教えてくれました。
彼はこの日は例のネットで知り合った女性と華山(洛陽と西安の間にある)に行くとのこと。
彼に別れを告げ、僕たちはまず、目星をつけていたもうひとつのユース(緑島ユースの系列店)へ移動しました。

緑島ユースは西安の城壁内、北東に位置していて、駅直近でした。
対して今度のユースは城壁内南。南門にほぼ隣接し、繁華街に近いところに位置します。

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城壁に面していました。

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外観はこんな感じ。

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中の様子は伝統的な中国の家屋といった感じで、雰囲気ありました。

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夜はこんな感じでね。

ここのフロントのおじいちゃんがすごくいい人だったなあ。

宿をとって、バスターミナルは北の駅の方にあるからまた戻り、華清池、始皇帝陵、兵馬俑の三大観光地をまわるバスに乗り込みます。


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城門から出たバスから。
雨が降っていて、写り悪いですが。
城壁に囲まれた街ってやっぱり雰囲気ありますね。

城壁の外は田舎なのかなと思ってたけど、どうやら違って、むしろ城壁の外のが開けてる。

途中高速道路らしきところを通りながら、どのくらいかな、1時間30分ほどかな。
華清池を過ぎ、始皇帝陵がバスの窓から見えてきて、やがて兵馬俑に到着。
さすがは兵馬俑。駐車場からして広い。

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そんな駐車場で、始皇帝御自らがお出迎え。

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入場ゲート。
チケットを買ってこのゲートを通るんですが、ここ、自動改札になってて、慣れない中国人たちはおろおろ。
自動改札という文明の力が逆効果。渋滞になってしまってました。

兵馬俑のメインはもちろん1号抗、2号抗、3号抗と分けられた発掘現場。
特に有名で誰もが観たことがあるのは1号抗内部。

楽しみは後にとっておいて、とりあえず併設されている博物館へ。
出土品のレプリカやらがずらり。

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こうしたレプリカ展示室、兵馬俑博物館の歴史、そして中国っぽいのが、ここを訪れた共産党の偉人たちについての展示。

博物館自体はとても綺麗でした。
まああれだけ高い入場料(80元くらいだったかな)をとってるんだからそりゃ当然だ。


で、いよいよ1号抗へ。

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でっかい体育館みたいなところに、なんかもうこんな。
整然と並んだ近衛兵。
秦代の軍隊がそのまま目の前にいる。。。
これってSFですよ。

しかしこの感じ、何か見たことあるなー。

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んー??

こ、これは

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まるで

UBC-jam

みたい。

UBC-jamとは、僕が以前所属していた、大学のサークルで、毎年学園祭で無料ライブイベントを企画運営しています。
今年も後輩たちが頑張っているので、興味を持ったら行ってみましょう。
以下詳細。

イベント名 UBC-jam vol.21

日程   2007年11月3日(土)
      開場 14:00  開演 15:00
      終了時刻は未定ですが、例年19:00頃です。

場所   早稲田大学戸山キャンパス内 記念会堂
      162-8644 新宿区戸山1-24-1

アクセス ◇JR山手線 (高田馬場駅 徒歩20分)
      ◇西武新宿線 (高田馬場駅 徒歩20分)
      ◇東京メトロ東西線 (早稲田駅 徒歩3分)
      ◇都営バス(高田馬場駅 - 早大正門、馬場下町下車徒歩1分)

出演 SCOOBIE DO
    SPECIAL OTHERS
    ホフディラン
    HALCALI
    SOIL"&"PIMP"SESSIONS 
    (アクト順ではありません)

形式 入場無料のライブイベント


11月3日、4日に行われる早稲田祭の中でのイベントです。
これらアーティストのライブが無料で観られるので、もし興味があったらいかがでしょうか。
このUBC-jamだけではなく、当日は早稲田祭ということでいろんな出し物がいろんなとこでやってるのでそれを見て回るのも面白いかも。

早稲田大学UBC ホームページ
早稲田祭2007 ホームページ


うまーく宣伝してあげたところで(このブログの宣伝効果なんて甚だ疑問)、兵馬俑に戻ります。


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整然と並んだこの兵隊たちは全員、東を向いています。
というのも、秦は中国の西側(益州あたり)で勃興し全土を統一して行ったのですが、東側にまだ敵が残っていたため、その敵国を警戒しているのだそうです。

兵馬俑はこの辺りの農夫が井戸を掘ろうとした際、2、3mほど掘ったところで妙な陶器の破片にあたり、それを考古学者が鑑定し、発掘したところ、見つかったというのは有名な話で、「史記」などの記述を照らし合わせて、どうやらこれが始皇帝の死後の近衛兵隊なのだ、ということになったそうです。
それが1974年のことだからまだたった33年前の話なんですよね。
それまで2200年くらいずーーーーっと土の下にいてその上は農村になっていたんだから凄い。
ちなみにこの、兵馬俑を掘り当てた農夫、現在、この博物館の名誉副館長になっているそうです。それもすごい話だ。

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発掘されただけでも約7000体という兵士たちはその顔が一人一人違う顔を持っているというのも有名な話。
そしてリアル。
今の中国人にそっくりな人たちもいれば、地域柄、少し西域を思わせるような顔立ちのものもいる。
それぞれ本物の兵士を実際にスケッチしながら造られたという話もあるけど、頷ける。
彼らの平均身長は180cmと現在の我々よりも大きい。
これはさすがに少しだけ誇張して造ってあるのだろうか。はたまた秦の兵士は本当にそれだけ背が高かったのか。
多分前者なんだろうなあ。
今の感覚だったらそんなちょっとだけ大きくしてなんの意味があるの??と思うけど、おそらく当時の人々の平均身長からすればかなり大きく造ってあるはず。当時の人からみれば180cmという身長だけでも随分威圧感があったんじゃないか。

この兵馬俑が見つかる前から、この辺りの農村では数々の兵馬俑を思わせる言い伝えが残っているそうで、例えば、現在の1号抗付近は何故か地下水がすぐに枯れてしまうから、地下に怪物が棲んでいるんだとか、このあたりは明代の末から清代の初めにかけては墓地だったことがあって、そのころ地下から怪物が出たという話なんてことが挙げられる。

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兵馬俑は、全部が全部きちんとした姿で発見されるわけではなく、ほとんどがこんな感じでぐちゃぐちゃになって見つかるそうです。
兵馬俑を埋める際、兵隊の横の土壁の上に丸太を渡してその上にゴザを敷いて土をかぶせたんだそうなんだけど、この丸太がいけなかったんですな(といってもしょうがないけど)。木だから腐ってしまってその上の土がドサーっと。
兵隊圧死。
ということになって上の写真のようになって発掘されるということです。

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1号抗の一番奥には現在修復中の兵馬俑たちがいました。
1号抗内では現在も発掘調査が行われているようです。
このあと紹介する2号抗、3号抗では試掘といって一度掘り起こし、調査を終えたら保護の為にまた埋め戻すという作業をしているようです。

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兵馬俑たちは現在でこそこのような姿ですが、本来はカラフルに彩色が施されてありました。そしてそれは発掘された当初はほとんど残っていたのです。
しかし2200年もの間、土の中にいた兵馬俑が突然外界の光を浴びることによってみるみるうちに彩色は剥げて、このような姿になっているとのこと。
兵馬俑はこの1号抗、2号抗、3号抗以外にも始皇帝陵を中心としてこのあたり一帯に確実に存在するのですが、発掘することによって上記のようなダメージを与えてしまうため、確実な保護技術が確立するまでは掘り起こさない方針をとっています。

1号抗から出て、2号抗、3号抗、と見学。
1号抗以外は写真撮影厳禁、てことを「地球の歩き方」や他のブログなんかでみたんだけど、みんな撮りまくりでした。

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2、3号抗はこのようにほとんどが土に埋もれた俑でした。
整然と並んでるものもカッコイイけれど、こちらのほうが2200年という時の流れを感じることが出来るのも事実。

さて兵馬俑を後にして、始皇帝陵へ。

バスで行くか歩いて行くか迷った挙げ句、歩いて行くことに。
兵馬俑ー始皇帝陵間およそ1.2kmということで歩けない距離じゃないけど遠かった。
バスで通ったとき、こんな遠かったっけ?
道ばたではずーーーーっとザクロを売っている人たちがいた。
全員ザクロ。
他の店と差別化をはかる気がない。
売ってる人が綺麗なお姉さんなら買うのにね。とか言ってた矢先、おそらく部活に行く女子高生っぽい女の子を発見。服はおそらく学校のジャージ。髪は黒くて長くシャンプーのCMみたい。アジエンスとかのCMに出てそう。

今回の旅での美人さんNo.1でした。

しかし本当、西安は美人が多いです。

元気になった僕らはその後も歩きつづけ、とうとう始皇帝陵が見えてきました。

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始皇帝陵に入る時、早稲田大学の学生証で学割を試してみたら、なんと学割に成功しました。
ちなみに北京の紫禁城では失敗しています。
どうやら窓口の人によるっぽいので学生ならばチケットを買う時とりあえず学生証を見せることをオススメします。半額になるのは大きい。

さて。
始皇帝陵。

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お山に登れるんですが、なにも考えずに登ってしまえば、なんの変哲も無い山です。(案外高いけど)
しかし、始皇帝陵はそんなただの山なんかじゃない。

始皇帝は13歳で即位してから驪山で自分の墓の修築を始め、全国統一を果たした後はさらに各地から10万人以上を徴用して、50歳で死去するまで墓の修築を37年間続けたということですから、この陵墓はなんと37年もの歳月がかかっているんです。
けど、こんな山造るのにそんな時間かかんの?と思うけれど、もちろんこんな山のためにそんな歳月をかけたりはしません。
地下宮殿です。

始皇帝陵内部の仕切りと構造は秦の都咸陽(西安から少し西へ行ったところにある)とそっくりだそうで、咸陽を真似て建造されたものだといいます。
始皇帝陵の本体と周辺の副葬地区は66.25平方kmにもなるというからその大きさは圧倒的。それはなんと現在の西安の都市面積の2倍近くになるのです。

そんなものがこの地下にあるわけですよ。
さっきの兵馬俑もその一環に過ぎない。

そんな地下宮殿の内部の様子は司馬遷の「史記」が詳しい。
その内容を要約すると


珍宝が沢山置かれている。
窃盗を防止するための自動発射できる弓の仕掛けがある。
墓室の天井には星辰に当たる宝石と真珠が飾られている。
地面には中国の五大名山など地形の模型が置かれ、その溝には河川と海洋を象徴する水銀が流れており、黄金で作った雉が浮かんでいる。
墓室には鯨の油を燃料とする「長明灯」が長年燃え続けている。
墓室の周りは大規模な兵馬俑の群れに囲まれている。


これらのことは長年ただの伝説と思われていて、司馬遷もただのホラ吹きくらいにしか思われてなかったようですが、実際に兵馬俑が出てきたから大変。
「史記」の記述が実は本当なのかも知れない、と思われるようになって、とうとう地上からの調査も行われました。

すると多量のまとまった水銀と、蒸発によって飛散した水銀、さらに地下宮殿を思わせる広大な空間が確かに存在するということがわかったのです。
ますます「史記」の信憑性が増しました。

さらに、盗掘をしたあともあったようですが地下宮殿には達していないということで、内部はほぼ完璧に保存されていることが予想されています。

始皇帝が死ぬと、ここに葬られましたが、地下宮殿内部の機密の漏洩防止のために、墓を造った職人たちも埋められてしまいました。


「漢書」と「水経注」という書物には始皇帝陵は、項羽によって暴かれ、消失したと伝えられていますが、「史記」にはそんな記述は存在しません。
「史記」は始皇帝陵建設後約100年後に編まれてあり、「漢書」はおよそ300年後、「水経注」にいたっては600年も後のことなのでその信憑性は疑われています。
僕の予想では、「漢書」で漢建国の祖、劉邦の敵項羽をことさらに暴虐に見せるために作った話で、「水経注」はその「漢書」を基に話を構成したんじゃないかな。どうだろう。

始皇帝陵は、兵馬俑と同じ理由(発掘後の保存技術が未発達)で内部の発掘はできていません。
外側から徐々に徐々に始皇帝陵本体に近づくように調査は進められてはいるらしいけれど。
いつか、保存技術が確立して、発掘がなされた時、僕たちはまた一つ新たな驚きに包まれるんじゃないでしょうか。楽しみです。生きてるうちに見たいですね。。。


始皇帝陵を後にして、今度は華清池へ。
ここは唐の玄宗とその后、楊貴妃がしばしば逗留した温泉地。
三千年前の西周時代からの温泉の湯元があります。そのため、ここは歴代の帝王御用達の温泉なのです。だから玄宗たち以外にも多くの要人たちが愛してきた温泉なのですが、そこは絶世の美女、世界三大美人の一人、楊貴妃です。
彼女が入ったとあっては、そりゃ有名にもなります。
また華清池という名前も、玄宗が楊貴妃のために華池宮を建造したことに始まります。
またそんな玄宗と楊貴妃の恋愛を題材にした白居易の「長恨歌」の舞台としても有名。

ということで、始皇帝陵からバスに乗ります。

バスは客がほとんどいなくてガラガラでした。
女の車掌さんが僕たちに話しかけてきました。
当然分からないので、筆談をお願いしました。
車掌「日本人か?」
僕「是」
車掌「学生か?」
僕「是」
車掌「兵馬俑や始皇帝陵には行ったのか」
僕「是」
車掌「ちゃんと学割にしてもらったか」
僕「是」
車掌「華清池でも学割にしてもらいなさい」

こんな感じで親切に教えてくれました。いい人。

ということで華清池でも学割を使用。
あっさり学割になりました。
魔法のカードだな。卒業時、返したくねー。


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入り口をくぐってすぐにあるこの建物の中は博物館になっています。

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中には、昔の姿を再現する模型があったり

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蝋人形が置いてあったりと、なかなか楽しめる内容でした。

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楊貴妃。

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いまも湧きつづける温泉に、楊貴妃にあやかって群がる。
このお湯を触るだけですがお金をとられます。
なので僕たちはスルー。

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唐代の風呂の遺構。
こういう風に完璧に出てくるんですねえ。素晴らしい。

ここで当時の偉い人たちが風呂に入っていた様子が容易に思い浮かびます。

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楊貴妃専用のバスタブ。
海藻の形を模していて、当時は青色をしていたとか。
楊貴妃専用なわけですから、当然楊貴妃しか入ってない。ひょえー。
実際に楊貴妃が入ってたんだー。ひょえー。

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そのお隣の建物には、玄宗専用の浴槽が。
皇帝専用とあって広い。
いいですね、この武骨な形が。楊貴妃専用の方は、すごく女性っぽいフォルムだったのに対して、こちらは男の風呂、って感じです。

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排水用の溝です。
この辺の構造もしっかり残っていてすごい。
こんなのが1300年くらい前にあったんですからね。さすがは唐。

温泉水滑らかにして凝脂 を洗ふ
侍児扶け起こすに矯として 力無し
始めて是れ新たに恩沢を承くるの時
雲鬢花顔金歩揺
芙蓉の帳暖かにし て春宵を度る
春宵短きを苦しみ日高くして起く
此れより君主早朝せず
歓を承け宴に侍して閑暇無く
春は春遊に従ひ夜は夜を専らにす
後宮の佳麗三千人
三千の寵愛一身に在り
金屋粧ひ成って嬌として夜に侍し
玉楼宴罷んで酔うて春に和す
憐むべし光彩の門戸に生ずるを
遂に天下の父母の心をして
男を生むを重んぜず女を生むを重んぜしむ


驪宮高き処青雲に入り
仙楽風に飄りて処処に聞こゆ
緩歌縵舞糸竹を凝らし
尽日君主看れども足らず
漁陽のヘイ鼓地を動かして来り
驚破す霓裳羽衣の曲



長恨歌の内、この華清池を歌った部分の書き下し文です。

さてこの華清池。
そんなロマンスばかりの場所ではありません。

中国現代史において、大きな転換となった西安事件の舞台でもあるのです。

1936年12月、楊虎城の西北軍と張学良の東北軍による共産党討伐が一向に進んでいないことに業を煮やし、この二人の将軍を叱咤するため、蒋介石は南京を出発して西安に来ました。
蒋介石は華清宮の五間庁に泊まって、12月12日朝5時、突然の銃声で目を覚まし、着替えもできず、裸のままで窓を乗り越え、山腹に逃走。山はらの大きな石の隙間に隠れているところを張学良の護衛兵が発見して捕らえ、西安市内に幽閉しました。
張学良と楊虎城はさっそく延安にいる毛沢東に電報を打ち、代表団の派遣を要請。毛沢東は周恩来を西安に派遣しました。周恩来は何度も蒋介石と交渉し、その結果第二次「国共合作」が実現したのです。

というのがこの西安事件の概要。

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蒋介石が銃撃を受けた五間庁は現在も保存されていて、銃撃を受けた朝のまま窓ガラスまで保存されてあります。
いたるところに銃痕が。。


華清池の裏にある驪山にはロープウェイで登れるのですが、時間が遅くなりすでに営業終了。
残念だけど、バスを待って、西安市街へと戻りました。



さて、市街に戻って、まずは誘われるがまま、晩ご飯。

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その後、適当にブラブラして、夜市という、市場を見学。
けっこうゲテモノがいっぱい焼かれてました。

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陜西省の役所(?)なんかも見学。
そろそろ国慶節ムードで、紅い横断幕なんかも張られてました。

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ランドマークである鐘楼へ。

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鐘楼。
ここには登ることが出来るので登ってみました。

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中では観光者向けのショーもやってました。

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南門の方を臨む夜景。

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ムスリム通りというところがあってそこにも行ってみた。

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ムスリムというだけあってイスラム教徒っぽい人もいたけど、ちょっと栄えた商店街みたいな感じで楽しかった。

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ムスリム通りにつながる門。


夜の散策を終えて宿に帰ったのはもう22時を回ってました。
ドミトリーにはいつの間にか他のお客さんがいて寝てたので起こさないように神経を使いつつ、就寝。

次の日は三蔵法師玄奘ゆかりの大雁塔と陜西歴史博物館。そして襄樊へ向かいます。
それは次の更新で。

ではまた。
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by jai-guru-deva | 2007-10-24 02:51 | 今日知る旅行

中国旅行記 西安編。

洛陽編から一週間以上も空いてしまった。マズいぞ。

【9月27日木曜日 西安 雨】

洛陽から列車で西安へ。。。
最も安価な硬座。
その名の通り硬い椅子で背もたれは垂直。それはもう見事なまでに。
もちろんリクライニングなんてないです。
全部2人掛けもしくは3人掛けのボックス席。

僕とゆっきーの席は離れていたため、5時間だけ一人旅。
洛陽は途中駅なので既に人が乗ってるんだけど、僕の席に平気でどっかの兄ちゃんが座ってたのでジェスチャーで追い出す。

洛陽から西安への移動ってなんか燃えます。
三国志ファンなら分かっていただけるでしょう。
洛陽から西安までなんて感覚的には近い気がするけど、それでも列車で5時間かかるから、改めて中国ってデカイなあ。
後漢末期、董卓という時の権力者が袁紹をリーダーとする反董卓連合から逃れるために洛陽を焦土と化し、強引に長安に遷都したというのを風景を見ながら考えてました。
中原は豊かな農村地帯で、どこを見ても畑畑畑。不思議なのは稲を見なかったこと。全部トウモロコシ畑でした。
そんな農村ばかりが続く風景も全く見飽きることが無く、三国時代のことなんかを考えていると心が躍ります。落ち着きません。
途中、潼関(駅がある)を通ったときは最高潮でした。
潼関は洛陽から西安に行く途中にある谷間、天然の要害に築かれていた関。
洛陽、長安を結ぶ要衝なので古来幾度もここを巡って英雄たちが争いました。
中でも僕にとって思い入れ深いのは曹操と馬超の潼関を巡る戦い。
豊かな農村と書いたけれどこの辺りはとても複雑な地形をしていました。
それでも段々畑のようにして作物を育てていましたが。

潼関をこえるともう西安は近い。
西安(google map)

こんな感じでぐるりと城壁で囲まれた街なんです。
西安の城壁は周囲の長さ約13km。
隋唐時代のものをもとに明代の1378年に造られたようです。現在中国で完全に残るのはこの西安のみ。
阿倍仲麻呂やら吉備真備、空海なんかもこの地まで来てるんだ、と思うと、遠くに来たなあ、と感じます。
阿倍仲麻呂を思って
天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも
なんて詠んだらますます。。。

というか、日本に帰れなくなりそうで嫌ですね。

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というわけで。
5時間20分の電車旅を終えて、

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14時50分、西安に着きました。

さてさて。まずは宿とりと次の目的地、襄樊までの切符調達。
と思ってたら、また宿の客引き。
洛陽のしつこいおばさんにとんでもない宿に泊められたためホテルについて何度も確認しながら、その日の宿を決める。
あらかじめ日本で目星をつけていたユースだった。万歳。

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緑島ユースというホテルだったけど、なかなか快適。
壁にはこれまでに泊まったお客さんが残して行った落書き。
自由に書いていいそうで、書く気ではいたけど結局忘れてた。残念。

で、雨の中また駅へと向かい、襄樊行きの列車を探す。

しかしそもそもの本数が少ないのか、10月1日からの国慶節のせいか、列車はとることが出来ませんでした。
さて、どうしよう、と最終手段として浮上したのが夜行バス。

僕たちは西安で2泊したかったので出発は29日の午後。
通常、バスは何日も先のものも予約できるということだったのだけれど、何故か当日のもののみ。

仕方が無いので、心配はあるけれど、出発日の朝にまたバスターミナルに来て買おう、ということになりました。
襄樊にこだわらず、そのまま上海に直行するのであれば、列車も空いてるのがあったんだけど。
どうして襄樊にこだわるかというと、それは、諸葛亮孔明が隠棲していたところにどうしても行きたかったから。
せっかくバックパックできてるんだから、普通のツアーではまわらないところに行かなきゃ、って気持ちもありましたが、何より諸葛亮。
まあそれはまた後ほど。

で、切符をおあずけにして、この日はもう夕方近いし、適当に西安ぶらぶらしてご飯でも食べて早く寝よう、ということになり、適当にぶらぶら。
西安はとても栄えてて面白い街でした。
僕たちが行った街の中では上海に次いで外資の力が強いようにも感じました。
それはなんか、シルクロードの玄関として栄えた昔からの伝統なのかなあ、と勝手に考えてみたり。

しかしなにより

美人が多い。

これには驚きましたね。

全然あか抜けてないんだけど、凄く綺麗。
黒くて長い髪に色白の顔、切れ長の目。
アジアンビューティーってこういうのをいうのかなあ、と2人で感心してました。

西安ともなると、漢民族というより、すこし西側の血も混じっているのかな?


おなかが減ったので、何か食べようと彷徨ってたら、マックがあって。
前の日、辛い鍋を食べてお腹ぐるぐるの僕は何か食べ慣れたものを、ということでこの日はマクドナルドになりました。ビバ・マック。

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お国が変わればメニューは当然変わってくるわけですが、これなんかは、なんかサブウェイっぽい形のハンバーガーでした。
中国では、牛肉より鶏肉のが人気あるのか、鳥のフライのハンバーガーがいっぱい。
ケンタッキーに来たような気分。
ファーストフード店はどこにいってもマックかケンタ。
あと、ファーストフード店は(おそらくどこも)全席禁煙。
どこでもタバコが吸える中国においてこれはとても違和感ありました。
だからかわからないけど、とても清潔感がありました。

マックでお腹いっぱいになったので、またぶらぶらホテルへ。

この日はドミトリールームをとったんだけど、8人部屋完全に誰もいない。
僕たち二人だけでかなり贅沢な気分でした。

シャワー浴びて歯磨きして軽く乾杯でもしたら寝ますか、と話してたところ、ゆっきーが歯磨きから帰ってきたら何やら知らない人と喋ってる。

どうやら洗面所で軽く喋って意気投合した旅人らしい。
韓国の人だった。
彼のドミトリールームは満員らしく、僕たちのガラ空きの部屋に招いておしゃべり。
僕たちも彼も英語は得意じゃないからなかなか会話にならないけれど、お互い一生懸命に伝えようとするから、なんとかコミュニケーションをとる。
彼と僕は音楽の趣味があって、彼のmp3プレイヤーで盛り上がり、せっかくだから、と1階にあるバーで乾杯しよう、とバーへ。
こういうとき、お酒って凄い。
とりあえずちょっと酔えば、なんか仲良くなった気分になるから不思議。
そうやって盛り上がってたら、よこで一人で飲んでいた厳ついおじさんも加わってくる。

この人はコロンビア人で、最近日本にも来たと言ってた。
「どこに行ったの?」
って地図を広げて聞いてみると、沖縄を指しながら
「ナゴヤ」
って言ってた。パルプンテ。

凄く日本のことを褒めてくださいましたよ。
僕たちはコロンビアと言ってもコーヒーしか思い浮かばなくて申し訳なかったけど。。。

それで記念にと写真もとりました。
勝手にのせてもいいのかな。

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のせちゃった。
どの人が韓国人で、どの人がコロンビア人でって説明しなくても一目瞭然ですね。

前にも書いたけど、この韓国人の彼に僕は韓国人顔だと言われました。
ゆっきーは日本人顔だそうです。
分からんでもないです。なんとなく。
母親が韓流好きだから良しとしとくか。韓流の息子を持ってさぞかし満足だろう。

ところでこの韓国の彼とは、話が合うので、部屋に帰ってもうちょっと飲もうってことになって結局3時まで一緒に飲んでました。
いろんな話をして、楽しかったです。
彼は24歳で僕たちより1歳上。
だけど大学1年生。
兵役に行ってたんだって。
そっか、徴兵制だもんなあ。大変だなあ。

だけど、大学休学して3ヶ月ほど中国、チベット、インドと旅をしているらしい。
今頃はチベットかどこかにいるのかな。
無事でしょうか。

やたらカワイイ彼女がいる(写真をみせてもらった)くせにネットで知り合った女の子と旅行してるとか。
「それ彼女知ってんの?」
「いや、知らない」
「えーーーー」

みたいな。
さんざんそのことでからかったら結構必死で何もないことを訴えてきた。
信じないけど。

そんな他愛のない会話を3時まで。
彼は僕たちの部屋が気に入ったのか、
「ここで寝てけば?」
と提案すると
「うん、そうする」
といとも簡単に泊まって行きました。

そんなこんなで西安の1日目のとても楽しい夜は更けて行きましたとさ。

次回はまだ西安。
兵馬俑に秦始皇帝陵など。

ではまた。
(なるべくはやめに更新します)
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by jai-guru-deva | 2007-10-23 07:57 | 今日知る旅行

中国旅行記 洛陽編。

【9月26日 水曜日 洛陽 濃霧】

北京西から列車でおよそ10時間。
南下し、古都、洛陽。
6:30頃、車掌に起こされて、寝る前にあらかじめ交換してあった切符とベッド券をまた交換。

7:30 洛陽駅着。

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洛陽だよー!!
とうとう来たんだー。
本当に上洛してしまった。。。

小6で三国志に出会って以来、中国の特に古代の歴史に触れつづけてきて、ついに。
いろいろなドラマが繰り広げられてきた古都、洛陽。。。

もちろん漢や北魏の頃の面影なんかほとんどないんだけど、観光地見て回るってよりも、もう今、洛陽にいるっていう事実だけで、とても幸せ。

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こんな田舎ですけどね。今は。
ちなみに。
ここを首都にしてた王朝は
東周の洛邑に始まり、後漢・曹魏・西晋・北魏・隋・後唐

なかでも後漢、曹魏の時代なんて特に思い入れがありますからね、個人的に。

そして、ここ洛陽には、その時代、つまり三国時代の重要な史跡があるのです。
それはあとで触れるとして、とりあえず、次の目的地、西安までの切符をとらないと。
と、切符売り場へ向かおうとしたとき、おばちゃんが声をかけてきました。

どうやら宿の客引きです。
洛陽にはあまり、ユースのような宿が無い、と聞いていたのでちょっと不安になってた僕はつい、話を聞いてしまいました。
そしたらもう。。。
しつこいわ、しつこいわ。
値段交渉をした末、やっぱり自分たちで探すよ、と逃れようとしても、ついてくるついてくる。
撒くために、切符売り場に入り、とりあえず西安行きの切符を買う。
洛陽ー西安間はおよそ5時間ほどなので、寝台を使うまでもなく、次の日の朝に乗れば昼過ぎに着く。ということで、普通電車の硬座を購入。本当は軟座に座ってみたかったんだけど売り切れでした。
切符を買うのに1時間くらい並んでました。
途中、30分ほど過ぎたとこでしょうか。さすがにもう諦めただろ、と周りを見回すと、まだ切符売り場の外で僕たちを見張ってました。

で、1時間後切符を購入後、さすがに。。。。と思ってたら、なんと。

背後をきっちりマーク

もはや執念。
このおばちゃんも生活がかかっているのだろう。
本当に、ちょっとでも応じてしまったら、脈ありと判断されてしまうので気をつけましょう。

「140元の部屋、100元の部屋がある、どっちがいいか」
「すぐそこ、駅前、近い」

みたいなことをずーーーっと言ってくる。手には部屋の写真。
宿の客引きはみんなそうだけど、一流ホテル顔負けの綺麗な部屋の写真を持っている(笑)
ひたすら無視してたら

「じゃあいくらなら来てくれるか」

と最後の交渉。
値下げ交渉を長引かせると必ずこうなる。

で、僕たちが提示した金額は、ひとり30元。
日本円にしておよそ500円前後。

すると向こうは、
「分かった」
と割と素直にそれに応じた。
おそらく僕たちを逃すよりはマシなのだろう。

そのおばさんに連れて行かれたのは、
「招待所」
というホテル。
中国のホテルで「招待所」や「旅館」と名のつくホテルは、その多くが基本的に中国人向けの安宿。場所によっては外国人を受け付けないところもあります。

フロントに僕たちを連れてきたことを説明するおばさん。

「いくら?」
とおばさんに聞くフロント。
「ひとり30元」
と返すおばさん。
「30元?!」
とおどろくフロント。
ちょっとあきれてた。
やっぱり現地価格としても安いのだろうか。
というか、外国人をひっかけといてその値段はなんだ、ということかな。

ちなみに、おばちゃんが最初に言っていた宿(地球の歩き方にのっていた)でも、手に持っていた写真の宿でもない、とっても汚い宿でした。

おそらく、値段によって連れて行くところを決めていて、そのおばちゃんはいろんなホテルから雇われていて、働きに応じたマージンをもらい、生活しているのでしょう。

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部屋はこんな感じ。
一見まともそうだけど、家具類は全て破壊されてありました。
まあベッドが普通なので全然問題なかったけれど。
むしろこれで500円前後なら、全く問題ない。

トイレはいわゆるニーハオトイレ。
トイレにはいると、うんちしてる人がフツーに、こっち向いて、仕切りなんてものはないからそんな名前。
中国来て初めて見ました。
そして詰まりまくってて悲惨すぎる状況。

シャワー室もあるんですが、入った方が汚くなりそうな所。
まあ入りましたけど。

どういう仕組みか、ドアはオートロック。
で、鍵ではなく、札みたいなのを渡され、部屋に帰ったときは各階に控えているおばちゃんにこれを渡して鍵を開けてもらうシステム。
このおばちゃんが、夜になると(といっても20時くらいですよ)ガン寝してて機嫌がわるくなるというおまけ付き。

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ホテルの前。

さて、まあ切符もとったしホテルもとったしで、観光に出かけることに。
僕たちを勧誘したおばちゃんはしきりに、「少林寺ツアー」をオプションでつけることをすすめてきたけどそれは拒否。
かの有名な少林寺は洛陽郊外にあります。
けど一日がかりのツアーになるし、少林寺にまったく興味がないのでスルー。

僕には行かなければならない場所があるのです。
上でも触れかけた、三国時代にまつわるもの。

「関林廟」

三国時代の英雄にして神となった男、美髯公関羽雲長の首塚。

関羽は、蜀の劉備の義弟として各地を転戦。
劉備の蜀建国を支えつづけた義に厚い人。
その様々な超絶なエピソードと人柄で現在まで愛されつづける武将です。
死後、神と崇められ、各地に関帝廟が建てられました。
帝位についていない人間に帝とつけられることは、普通はありえません。
おそらく関羽だけでしょう。
関羽のように死後神となった武将に南宋の岳飛なんかも挙げられるけど、帝などとは呼ばれない。
中国人の関羽に対する愛着、信仰は強く、世界各国にあるチャイナタウンには必ずこの関羽を祀る関帝廟があります。
日本で言うと横浜中華街や神戸南京町なんかにありますね。
信義に厚い事その性格から、信頼第一の商業者において商業の神とされ、そろばんを発明したという伝説まであります。
今の中国の状況を関羽が見たら泣くぞ。何が信頼第一か。

そんな関羽は荊州をめぐる呉との戦いで捕えられて斬首。
関羽を斬ってしまい、劉備の報復を恐れた呉の孫権は関羽の首を洛陽の曹操まで届けて罪をなすり付ける。
困った曹操は、諸侯の礼をもって厚く、この洛陽の地に関羽の首と衣服等を埋葬し、葬ったという。
(ちなみに直後、曹操も洛陽で病死しています)

関林廟とは、まさにその舞台なのです。全国各地、世界各国にある廟とは決定的に違うのだ。

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というわけで、路線バスに乗り南下。途中、洛陽の地名のもとになった洛水を渡り、およそ一時間弱で到着です。
しかし、中国人というのは血気盛んで、路線バスに乗れば、しょっちゅう客同士でなにやら口論してる場面に出会えます。
誰かが口論してると、関係ない人もどんどんそれに加わっていって、すごいことになります。最初はビビったけど、だんだんそれも楽しくなりました。

洛陽という名前は、街が洛水の北側に造られたためにつけられました。
風水では川の北側を陽といって、南側を陰とするそうです。
逆に、山があればその北側を陰、南側を陽と呼びます。だから日本の中国地方は中国山地を挟んで北側を山陰、南側を山陽と言うのですね。鳥取とかが雨や雪が多く、岡山とかが晴れの日が多い、とかそういう理由じゃなく、意外にも風水の考えが入っているんですね、日本の地名なんかにも。
中国は特にそうで、◯陽、◯陰という地名がよくあります。

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関林に到着。

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関林の周りは観光地でもあるからか結構活気ありました。

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関林廟入り口。

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この日は一日中霧に覆われていましたが、それがとても幻想的で厳かな雰囲気を醸し出してました。


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関羽ー。

左から、周倉、廖化、関羽、王甫、関平という面々。
通常関帝廟には関羽を挟んで、長男(養子とも)関平、一番の家来、周倉(演義のみの架空の人物)が両脇に立っていますが、さすが関林。廖化、王甫というマイナーキャラまで出してくるとは。
関平は関羽とともに斬首。周倉はその報を受け、自殺。
王甫も同じく後を追っています(ただし、正史ではその3年後の夷陵の戦いで戦死)。
廖化は関羽に信頼された幕僚長。関羽死後も劉備、次代の劉禅に仕え、蜀滅亡まで生き抜く。蜀滅亡時、魏の洛陽に送られる途中に病死したと伝わっています。

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本来はこのように、左に周倉、右に関平という配置。
そして関羽の顔色は金ではなく赤色。
この顔色はその髭とともに彼のトレードマークです。

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関羽が武だけの人ではないということを表す像。
「春秋左氏伝」を読む関羽。
実際に彼の愛読書であったそうな。
ただしこの時代に、このような形態の本は存在しません。

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この樹は偶然ここに生えたのでしょうか、植林でしょうか。
劉備、関羽、張飛を彷彿とさせる、見事な三又の枝を持つ樹がありました。
これが植林ではなく、自然に生えてきたのだとしたらなんだか霊的なものを感じますよね。

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このこんもり盛られた土の下に、関羽の首や衣冠が埋められていると言うのです。。。

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現地のお祈りをしていた人を真似て僕もお祈りをしました。
いま人生で最も関羽に近いところにいるという実感がひしひし湧いてきました。
お話の中だけの存在だった人物が、たしかに実在したのだ、ということを感じて泣きそうになった。

そして、関羽との感動の対面(?)をすませた後、

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(;´Д`)コスプレ

来たときから目についてたんですが、僕たちが来たのが早すぎたため、まだ誰もいなくて商売してなかったのです。
で、僕たちが関林廟を見終わって一服していると、ようやく商売しそうになってました。

どうしても関羽になりたい

これが同一化欲求というやつか。
その欲求は僕を簡単に取り込んでしまいました。

というわけで。。。


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やっちゃった。。。

激しく弱そうな関羽になりました。

というか、関羽ですらない。



ちなみに。。。

メイキングオブ関羽

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まず中学校の学園祭か、というような布を纏う。

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ベルトを巻いてもらう。

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おじいちゃんおばあちゃんたちが集まってくる。
みんな
「あいやー」
って言ってた。

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篭手見たいの巻いてもらう。
案外、しっかりしてる。

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そして髭が生えてくる。

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そこに帽子をのせて

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最後に整えれば

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完成♪
ちなみにこのポーズ、

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観光客のおばちゃんが教えてくれました。
多分、京劇とかでお決まりのポーズみたいなのがあるんでしょうね。
こうしたら、もう関羽にしかみえない!みたいな。

で、僕としてはこれで満足だったんだけど、服着させてくれたおばちゃんが、
「そのまま関林を回ってきなさい」
と、なんともな羞恥プレイを提案。

再度、関林を回ることに。


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ゆっきーは常に遠くから写真を撮ろうとするので恥ずかしいし、撮れた写真も、なんかぽつーん(笑)
弱そうな関羽がポツーン。

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それでももう一度、廟に向かって祈りを捧げました。

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関羽とも。

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ツアーに混じって説明を聞く関羽。

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関羽を探せ。

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一応、ポーズをとってみる。
やっぱり弱そうだ。

身長169cm体重49kgの関羽はダメでしょ、やっぱり。。。

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それでも観光客のおばちゃんたちには喜んでもらえて、写真なんかも一緒に撮ってくれって言われてうれしかったです。コスプレイヤー冥利に尽きますね。

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楽しかった関羽との時間も終了。
合計、49元。
うん、充分楽しめた。


関林を出てバス停まで、ふらふらしていると。。。
ものすごい爆発音。

テロか??
とか思ってたら、ラッパとかドラムで演奏が始まる。

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結婚式だったようです。
爆発音は爆竹。
花嫁さんはどこの国でも綺麗ですねえ。

新婦さんにときめきつつ、つぎの目的地、龍門行きのバスを探し、乗ります。

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土地がありあまってるのか、道が広い。

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関林からさらに南下すること10分ほど。

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龍門に到着。

ここで僕のカメラの電池がなくなりかけてたので電池買うことに。
しかし、何を血迷ったか、単三電池4本に55元も払ってしまう。日本より高いジャマイカ。

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お腹がすいたので石窟までの道すがら、激しい呼び込みをしていたお店へ。
そこで食べた麺。
ほうとうみたいな麺で、スープはトマト味。美味しかった。

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そういえば。
中国のポストは緑色。
郵便局の人たちも緑色でなんか軍隊みたいでした。

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石窟までは商店街が続いています。

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芝生の公園を抜けると

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伊河という川と橋が見えてきます。
もうここが入り口。

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チケットを買って入場。

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伊河と接する断崖に穴がボコボコ。
そしてそのひとつひとつに御仏が(既に消失したものも多い)。
雲崗、敦煌と並ぶ三大石窟寺院の一つ。龍門。
北魏の孝文帝が洛陽に遷都した494年から掘削が始まったといいます。
北魏滅亡後も、北斉や隋、そして唐の時代まで延々掘られつづけて、およそ30,000体の仏像がそこに掘られています。

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よく見るとまだ彩色が残ってるのもあったりしますね。
なんかもう、すげーって言葉しか出てきませんでした。
ふたりしてすげーすげーばっか言ってました。

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いい感じだなーと思ったら、その先はトイレでした。

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ちょうど真ん中くらいにあるこの階段をあがると

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龍門のメインとも言える、最大の仏像、盧舎那仏が。

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でかい。。
この辺りは唐の高宗の発願によるものだそうで、この盧舎那仏は、その皇后で、後に帝位に就くことになる武氏(則天武后)をモデルにしたとも言われてきましたが、その制作年代等から現在では否定されているようです。

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橋を渡り対岸(東側へ)


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河原では多くの人が釣りを楽しんでいました。

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なんか、まあ、不細工な仏像もいますね。

この東側にも石窟が造られだしたのは玄宗の時代だそうで、割と新しいもの。
とは言っても、日本に仏教が伝わって数百年ぐらいしか経っていない時期ですからね。
日本に仏教が伝わったのが538年という説をとれば、西側にある、北魏時代の仏像は、日本にあるどの仏像よりも古いものになるわけで。。。
日本に仏教が伝わる前、っていうのはひどく古い時代のように感じられるのに、中国の同時代だと、そんな昔のように感じられないのが不思議。
秦とかの時代になると、さすがに古いなーという印象を受けますが、それって紀元前2、3世紀のことですからね。日本はそのころ何やってたかも定かではないですもんね。
中国時間の悠久さを感じます。


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東山から西岸を見る。

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東山にある香山寺へ。


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このお寺にはこの人の別荘が。
この人誰だっけ。ホラ、超有名です。
完っ全に忘れました。情けない。
いますごい気持ち悪いので分かるひといたら教えて。
鄧小平とか周恩来とか劉少奇とかそのへんの人。


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何があるのかと思ったら、女子トイレでした。

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寺から対岸がよく見えます、が霧が濃くて良く写りませんね。

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白居易(白楽天)です。
なんでこんなところにいるかというと、なんとこのお寺のすぐ横に白居易の家があったのです。

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白園。
白居易はもちろん詩人、偉大な歌人ですが、仏教徒でもあったようで、晩年、この香山寺に住んで、香山居士と号したようです。

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日本から送られた碑文。
白居易は、枕草子に「白氏文集」が載ったり、源氏物語に「長恨歌」が影響を及ぼしていたりと日本の平安文学に多大な影響を及ぼしてますが、白居易はその生存中にすでに自分が日本で好評を得ていることを知っていたようです。なかなか珍しい例じゃないでしょうか。
この碑の他にも、日本人書道家たちが書いた文が多数展示されてありました。日本での白居易の人気ぶりと彼の日本文化に残した影響の強さを知りました。

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お墓参りしておきました。

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13:00くらいに周り始めて、龍門を出たのが17:00頃。4時間もいたけれど、これでも割と早足でした。
ゆっくりじっくり見て回ったら、優に一日はかかります。

中国最古で最初の仏教寺院、白馬寺や洛陽博物館も行きたかったけど、断念。
宿へ戻ります。

宿到着後、晩ご飯を食べに街へ。

宿近くの大きな割と高級そうなレストランへ。
「大唐火鍋店」
わけもわからず羊肉火鍋みたいなのと麻婆豆腐を注文。

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なんかこんなのが出てきました。
二人で食べきれるような量じゃない。
鍋の中に羊の足がごろごろ。
そしてめちゃくちゃ辛い。
僕は唐辛子的な辛さはあまり得意じゃないから、途中から半泣きで食べてました。

で、麻婆豆腐が出て来ないけど、別に出て来なくていいなーと思いながらも待ってたら、鍋の中から麻婆豆腐発掘。
ああ、麻婆豆腐ってトッピングだったのねー。

鍋の煮え具合とかいちいち店員さんが見てくれるんだけど、店員さんがミスって鍋をちょっとひっくり返してしまうトラブルが。
すると、しばらくして頼んでも無い、ゴマ団子が5個も。もう勘弁してくれ。
いっこいっこがデカイし。
でもこのゴマ団子、すごく美味しかった。

それでも出されたものを残すのが癪な二人は頑張って食べる。


けれども善戦むなしく、惨敗。
残ったゴマ団子は持って帰らせてもらい、火鍋は放棄。
もうダメってほど食べましたね、このときは。




で、次の日。

辛いものを食べたらヤられる僕の胃腸がやっぱり悲鳴を。
朝から恐れていた腹痛に襲われました。。。


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それでもなんとか持ち越し(正露丸のお世話になりながら)、洛陽を離れる。

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わずか一泊の洛陽だったけど、とても濃密な時間を過ごせました。
電車に乗って、次は西安へ。

ということで次回西安編です。
ながながとありがとうございました。
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by jai-guru-deva | 2007-10-15 15:55 | 今日知る旅行

中国旅行記 北京編その3。

【9月25日 火曜日 北京 晴れ】

6:00起床。
昨夜予約した万里の長城ツアー参加のため。
一服してちょっとユースの周りを散歩。

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朝ご飯を買って、ロビーで食べて、
7:30ツアー開始。

結構大人数で行くのかと思いきや、カナダ人カップル、イギリス人カップル、謎の東洋人女性、それから僕たち2人の計7人。プラス運転手とガイドさん。

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マイクロバスみたいなので行きます。

しかし、白人のバックパッカーはどこの街でもカップルばっかだった。うらやましー。
男同士なんてそういえばほとんど見なかったなあ。

北京の朝はもの凄い混んでいて、車は思うように進まず。
さらにその日は、ガイドさんもいつも以上に混んでる、とびっくりしてた。
渋滞がヒドすぎるため、急遽予定変更。
当初、明の十三陵→お土産屋さん→レストラン→万里の長城→喫茶店
みたいなスケジュールだったらしいんだけど、まず昼ご飯を食べて、万里の長城から行こう、ということに。

11:00頃
でっかいお土産屋さんに到着。
翡翠のお店でしたがどれも高価すぎ。
時間がないんならこういうとこ省けよ、と思ったけど、きっとお土産屋さんと結託してるんだろう。
「30分くらい適当に見て回ってて。時間になったら探すから」
と割とラフな放置プレイ。
適当に見て回る。

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翡翠で出来た地球儀。
国ごとに違う色の石を使ってて、綺麗だった。

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球体のガラスの内側から絵を描くおじさん。
割と職人芸っぽかった。
「こいつ、また誰かの甥なんじゃね?」
と昨日の溥儀の甥を引きずる。

30分ほど経ってガイドさんは見事土産屋に散ったみんなを探し集め、またバスへ。

12:30 バスはやたら高級そうなレストランへ。

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ツアー人員全員で円卓を囲む。
食前酒に50%くらいの強いワインが出されて、カナダ人の男がやたら飲み始める。
負けじとゆっきーもやたら飲む。
僕は苦手なのでひとくちだけに。
帰る時、カナダ人は瓶ごと拝借して行きました。あいつらカッコいいよ。そういうことしても絵になるもんなーちくしょー。

あ、ご飯も美味しかったですよ。
でも初対面の人と円卓って微妙。欲しい料理、テーブル回さなきゃなんないから、なんか遠慮しちゃってお腹いっぱいまで食べれなかった。これはでもまあ、僕の性格のせいですがね。

んでまたバスに戻って、いよいよ万里の長城へ。

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最初、八達嶺(僕たちがイメージするいわゆる万里の長城。もっとも早くに観光地として整備された場所)に行くんだとばかり思ってたけど、おそらく時間の都合で、その隣(という表現も変だけど)でもうすこし北京よりの居庸関に到着。
居庸関は難攻不落の地と言われていて、確かにかなりの急勾配でした。

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うーむ。
万里の長城に来てしまった。。。
念願の地ではあるから感慨深い。

けど感慨に浸る暇がなく、とにかく2時間で登って下りてこいってことだったので必死に登る。

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ほんと勾配がキツいです。
そりゃ難攻不落だわ、こんなとこ。



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中継地点の見張りの基地みたいなとこの内部。
ここからさらに上に登れる。

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遠くの方まで長城が続いてるのが分かる。

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長城の頂上にはこんな落書きが。

内蒙古

いや、お前らを入れさせない為に造ったはずなんだが。
思いっきりモンゴルに侵略されていたオチ。

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中国にもレッドブルがありました。
デザインが日本と違いますね。


15:00万里の長城を出て、明の十三陵へ。
20分ほどで到着。
観光客が僕ら以外誰もいなくて閑散としてました。

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明の十三陵というのは明の永楽帝以下、13人の皇帝の陵墓群。
歴代皇帝のお墓です。
中でも万暦帝神宗の定陵は発掘されて、その地下宮殿が公開されています。
僕もそれを期待して行ったんだけど、どうも時間の都合なのか、定陵には行けませんでした。

その後、北京オリンピックの選手村だったり競技場だったりを車から見学しながら市街へと戻り、お茶屋さんへ。
ガイドさんが気をきかせてくれて、僕たちだけ日本語の出来る人がいるお茶屋さんへ連れて行ってくれることに。

お茶屋さんではヘタクソな日本語を一生懸命喋るお姉さんにいろんなお茶を試飲させてもらう。
ライチ茶がとても美味しかった。
かなり高い値段設定だったけど、お姉さんに免じていくつか購入。
お土産にすることに。

割と雑に梱包してたのをガイドさんがとがめてくれる。
もっとちゃんと包んであげなさい、みたいな感じで。

それから、北京西駅に行くバスまでガイドさんは案内してくれて、列車内での注意事項(スリとか多いから気をつけなさい。等)を教えてもらい、非常に親切な人だった。

で、バスに乗るも、お金を払うタイミングが分からず、とりあえず席についてると変なおじさんが僕たちになにか叫んでる。別に怒ってる風でもなく、ただひたすら同じことを大声で言ってくる。
こっちは( ゜Д゜)ポカーン
なんとかジェスチャーで彼が実は車掌だと分かり、チケット代1元を払い、解決。
中国のバスは乗る時にお金を払う場合と、今回のように運転手とは別に車掌がいて、その人から切符を買うという場合がありました。
このおっさんもそうだけど、車掌といっても別に制服着てるわけじゃなく普段着で乗ってるから客と区別がつかないこともあります。
このときもなんか頭のオカシイおっさんが乗ってんのかと思ってビクビクしてました。

一時間ほどバスに揺られて北京西駅着。

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いっぱいの人が駅前でたむろ。
きっと列車待ちの人々。
最初こういう光景にギャップを感じるけど、どんどん慣れちゃったから今ではなんとも思わないけど、このときは、首都の駅がこれで大丈夫か??と思いました。正直。

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列車の時間までまだ少しあったから駅前でご飯。
中国で初めてラーメンです。
中国には日本のようなタマゴ麺的なものはないんですね。
だいたい、コシの無いうどんとか冷や麦みたいな麺。

列車に乗るときはまず、切符を見せて駅に入場。その際、手荷物検査があります。
中国はちょっとした観光地や駅なんかでは必ず手荷物検査があります。どうせなにもチェックしてないんだろうけど。

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で、その後自分たちが乗る列車の番号が表示されている待合室に入って、改札が始まるのを待ちます。

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全席指定なのに改札前になるといろめきたつ。
荷物の置き場所を確保する為なんだとか。
だから改札開いたとたん、ダッシュする人がいっぱい。

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自分たちの車両に乗り込み、ベッドを探す。
硬臥は一部屋6人。
一畳位の大きさの3段ベッドがみっつ。
値段は下の方が高い。
僕たちは一番上だったんですが、確かに、空調がモロあたるし、トイレとかにいちいち下りるのが面倒だったりしました。
でもまあ思ってたよりはずっと快適。

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こんな感じ。

あと、トイレ。
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この写真じゃ分からないけど、この穴の下は直で線路。
つまり垂れ流しなわけです。
ずーーーっと鍵が閉まってあって、ずーーーーーっと待ってたけど、どうやら列車出発後職員が開けにくるもんらしい。

22:30消灯。
それまで賑やかだった車内が一気に静まり返る。
僕たちも疲れていたのですぐに眠りに落ちました。
しかし、寝て起きたら、洛陽ってのはシビレます。


というわけで、次回は洛陽編です。
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by jai-guru-deva | 2007-10-12 05:26 | 今日知る旅行

中国旅行記 北京編その2。

また5日ほど間が空きましたが、続きです。

【9月24日 月曜日 北京・晴れ】

7時30分頃起床。
ちょっと眠いけど西安までの切符を買わなければならないので早起き。
北京駅へ。

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朝の北京駅。

中国の列車の乗り方はちょっと特殊。
日本の感覚だと絶対に乗れない。

中国の列車は全席指定。
すべて窓口にて購入です。
席は値段がたかい順に

軟臥
硬臥
軟座
硬座


があります。
臥っていうのが寝台。座というのが普通の座席。

軟臥…一部屋に2段ベッドが2つの4人部屋。一等寝台。
硬臥…一部屋に3段ベッドが2つの6人部屋。
軟座…日本でいうグリーン車。最新車両はリクライニングシートとかで快適っぽい。
硬座…背もたれが垂直でガッチガチ。飛行機でエコノミー症候群とか言ってらんない。


駅には切符売り場が併設されてあって、そこで買うことになります。
時刻表を見ながら自分の乗りたい列車をピックアップして窓口の職員に告げ、購入。
という流れ。

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切符売り場。

ところが、切符売り場は慢性的に混んでます。
いくつも窓口があるけれどもどこも長蛇の列。
そして彼ら中国人は列に並んで待つというのが大嫌い。
とにかく横から割り込むわ、割り込むわ。
この辺のモラルは本っっっっっ当に低い。

一応、外国人専用窓口もあるけれど、全く意味をなしていない。
全員現地人。

窓口の職員はほとんど英語は喋れない。外国人窓口の人も例外ではない。
中国語でまくしたててきます。こっちが全く聞き取れないそぶりを見せてても、英語で話そうとするそぶりを見せても全くおかまいなく、容赦ない中国語を浴びせられる。
しばらく意志疎通が出来なくなるとキレ始める。
だいたいどこの窓口の人もこんな感じでした(笑)

そこで日本人の我々は、漢字を使って筆談をせざるをえなくなります。
漢字が読める、書ける、というのは結構な強み。
英語のアナウンスがかなり少ない国だけに、他の国の人たちに比べたら日本人は少し楽かも。

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こうやって。

「9月25日
T42 北京西→西安
軟臥 或 硬臥
2張」


北京ー西安間は12、3時間ほどかかるから座りはきついということで寝台に絞ることに。
「或」というのは読んで字の如く、あるいは、もしくは、という意味。
「張」というのは「枚」のこと。

けれどどうやら、売り切れ。
ほかの西安行きの列車を探したけれどどれも売り切れ。



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相談して洛陽に先に行って、それから西安に行くことに。
洛陽は田舎だから空きもあるんじゃないか、ということで。





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案の定、無事ゲット。


さて、洛陽に行く目処が立ったのでこの日のお目当て、紫禁城へ。


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駅前。
吉野家は中国でも人気らしく、どこにいってもあった。もちろんマクドナルドも。



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駅から20〜30分ほど歩く。
すると。。


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天安門ーーーー!!!


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主席ーーーー!!!

毛先生の下で立ちんぼの兵隊さん。
みんなにガシガシ撮られてました。

いやしかしここに来ると、北京に来たんだなーって思いますよ、やっぱり。

紫禁城の歴史は、元の時代までさかのぼれます。
元は大都、今の北京に都を置いて、この紫禁城の辺りを本拠地にしていたそうです。
その後、明の時代に有名な永楽帝がここに入り、大幅な改修を加えて、紫禁城の原型ができました。
けれど、明末期、李自成の乱で紫禁城は壊滅。焼き払われてしまったんだけど、清の時代になって、礎石や土台が残っていた紫禁城を今の形に建て直したそうです。
英語名を「Forbidden City」
カッコイイ。

さて中に入っていきます。

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どこかの民族の人たち。
なにか演奏でもするのか、その前のミーティングぽかった。

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清の皇帝のコスプレをする人。
黄色は皇帝の色。
当時は皇帝以外の人が黄色いものを身にまとうことは禁止されていました。
というか、そもそも、紫禁城の奥にある一角(皇帝の住居)には、皇帝以外の男は進入禁止。
お世話をする女の人のみ入れる区画があったようです。ここに住むことが出来る男性は皇帝のみ。皇族であっても住むことはできなかったのです。

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メインの太和殿は北京五輪にむけて改修中。
落胆せず、まあ、こういう光景もなかなか見れるもんじゃない、というプラス思考で行くことが旅には大切かと。

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注意深く観察していると建物の屋根の上に動物がいるのが分かります。
これは魔除けという呪術的な意味もあるけれど、動物の数で、その建物の格を表しているそうです。
これは紫禁城でももっとも動物が多く乗っている=もっとも格が高い建物というわけ。

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とっても広大なこの宮殿は、迷路のよう。
写真いっぱい撮ったけどどれがどこの写真か忘れた(笑)

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こうして史跡を訪ねて、昔のことをボーッと想像してるのが僕にとって一番幸せな時間。

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道、格好良いんだけど全部同じ作りだから本当、迷う。

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九龍壁。
ここに入るには珍宝館のチケットが必要。

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かわいい。
なんか自分によく似たヤツを踏みつぶしてるけど大丈夫でしょうか。

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演劇の舞台。3階建て。舞台裏はなんかカラクリ小屋みたいな仕掛けでいっぱいだったんだとか。
この向かいに皇帝専用の観覧席があります。


さて。
ここで事件は起きました。

この少し奥に行ったところ。
なんか小さな中庭があります。
紫禁城スタッフと思われる(水色のユニフォームを着てる)人たちがいて、建物の中に観光客を呼び込んでいました。
「ミルダケ、ミルダケ」
と片言の日本語を使う人も。
どうせ、なんかお土産でも売る気だろう、とスルーしてましたが、ひとりの好感を持てそうな青年が流暢な日本語で話しかけてきたのです。

「今日はラストエンペラー溥儀の甥がいらっしゃってるんです。是非見ていってください」

普通の人なら、
「あっそ」
で済ますでしょう。
「怪しすぎるだろ」
と思うでしょう。

けれど、僕には
血統属性がついているのだ。
血統についての話にめちゃくちゃ弱い。
そんな、皇帝の血筋の人のことを聞いて冷静でいられるわけが無い。


のこのこついて行く僕。



そのスタッフの溥儀の甥についての話を列挙してみよう。
●中国で著名な書道家。
●オークションに出すと8万円からスタート。
●週に2、3回ボランティアでここにやってくる。
●今日は特別2万円で書いてあげるよ。


…………。

……怪しい。


怪しすぎるぜ、溥儀の甥



そんな詐欺まがいの商売には騙されんぜ!
日本人をなめるなよ?!







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(((( ;゚Д゚))))

騙されてる!



まあ、そういうわけで、冷静でいられなかった僕はまんまと、字を書いて頂きました。
左が甥。

まあ、ね。
溥儀に似てないこともない気もする。


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部屋の中に溥儀一家の写真が。
真ん中の青丸が溥儀。
左上の赤丸のひとが甥。

んー。
似てなくもないが、判然し難い。

この真贋を確かめるべく、淡い期待とともに帰国後ググってみた。

すると……。


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ちょwwwwwwww
甥、大杉wwwwww



いろんな人がブログの故宮を訪れたという記事で、この甥について触れているけど、全員違う人(笑)
みんな眼鏡かけているのもなんだか恣意的。

この甥についての見解だけど、本当に甥かどうかは分かりません。
甥だ、とも言い切れないし、甥ではなく全くの偽物とも断定できない。

甥ってつまり溥儀の兄弟の子、というわけで、まあ結構いるわけです。皇族だから。
しかも中国の場合、甥には従兄弟の子も含まれることもあるらしいから、甥である可能性も全然ある。
ちなみに溥儀自身には子供はいません。
溥儀は奥さんがトータルで三人くらいいたということですが、最初の正室はアヘン中毒でラリッちゃってるし、それ以前に彼には男色の傾向があったり、生殖不能説もあるので。。。


まあともかく書いてもらいました。
普通、一文字2万から3万とってるっぽいんだけど、少し交渉して、学生割引みたいなことになって2文字、1万5千円で。
それでも高い。
まあ、溥儀の甥というのが本当なら自分にとっては良い思い出になるので、と決断しました。

で、書いてもらう字を自由に決めることが出来るんだけど、自分の「克也」という名前の「克」という字を使って、なにか熟語を書いてください、とお願いしました。

すると甥はなんか辞書のようなものをパラパラ。
「克勤」というのはどうだ、と言ってきました。 
孔子の随一の弟子、顔子(顔回)の言葉だそうです。
意味は、「向上心を持って仕事に打ち込む」みたいな感じらしい。
これから就職するので、それはピッタリだ、ということで「克勤」と書いてもらうことにしました。
それが上の写真です。

まあ、なんか、フツーの楷書ですよね。。
素人目にはウマいけど、どうなんだろ、実際のところ。

面白いのは、数ある甥たち、ひとりひとり書のスタイルが違うってこと。そこはちゃんと誇り持ってやってんのかな。


けどまあ、故宮という地で、オフィシャルにこういう商売してるからすごい国だ。。。


さて溥儀の甥にサヨナラして、紫禁城の最も北にある御花園だとかいう庭へ。

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ここはすごく綺麗でした。
いかにも中国〜みたいな岩とかあって。

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これなんかね。

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紫禁城を出た頃にはもう日は傾き始めてました。

このあとどうすっかなー、とりあえず北の山にでも登るかー、と相談。

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この山のこと。
紫禁城出て道はさんだとこにあります。
名前は景山といって、実は人工の山。
紫禁城の堀を掘った時にたまった土を盛り上げて山にしたそうな。
今は一体を公園にしていて、上まで行けば紫禁城を一望できます。
明の崇禎帝が李自成軍に攻められたとき首吊り自殺をした槐の木があったりもするらしくこりゃいってみたい。

とか公園のチケット売り場の前でウダウダ言ってたら、タクシーの運転手がわらわら。
普通のタクシーの客引きも入れば、ぼろっちい三輪自転車タクシーのおっさんも。

「胡同に行く」
と三輪タクシーのおっさんは言ってて、胡同、ちょっと興味があったから値段交渉開始。
こういう観光地にいる怪しいおっさんのがむしろ英語とか喋れるのでなんとか話ができる。

30分30元まで落として(でも高いけど)乗ることに。

胡同というのは元が大都(北京)に遷都した時に規定された道の幅の内、もっとも細い道のこと。
古い町並みをずーっと残して現在に伝えている。中には築500年くらいのものなんかもあって古き良き北京、みたいなのがよく分かります。
僕がなんで胡同なんてのを知ってたかというと、いつか見た新聞の記事に、北京五輪のための街の再開発のために胡同が消えつつあるという記事があってそれがずーっと頭に残ってたから。


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こういう人力車みたいなのに乗っけられます。

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家の守り神かな。

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こういう細い路地をすすみます。

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ちょっと大通りからそれてみればこうした街がいたるところにあるから凄い。

昔ながらの街の保存と再開発に揺れる北京が垣間見えました。

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あといっぱい野良犬か飼い犬か分からない犬がゴロゴロしてた。
食われるのかな、こいつら。

この自転車のおじさん、なんかいろいろ説明してくれたりタバコくれたり、いいヤツだなーって思ってたら、30分後、
「30分たった」
とか言って自転車をとめる。それもすげーどうしようもないところで。
貧民街のど真ん中みたいなとこでそんなこと言われても、もう少し運んでもらわないと困る。
なのでまた値段交渉して、最寄りの駅まで行ってもらうことに。

けれど、駅に着く前にまた
「30分」
と、自転車をとめる。
いい加減ぶん殴りたかった。

結局全部で75元を要求。
払えないといっても食い下がるので、面倒くさくなって75元支払い、胡同観光は終了。

紫禁城を囲むように環状線になっている地下鉄に乗って、天安門広場の方へ。
駅に着いた頃にはもう暗くなってて、この日の宿を探すことに。

20時ころ、遠東ユースホステルというところに着く。

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結構必死で英語を喋り、チェックイン。
なんか緊張してめっちゃ「地球の歩き方」握りしめてたのがゆっきーに笑われて、写真まで撮られた。
この日の部屋は6人部屋のドミトリー。
僕たちが部屋に入ると、ひとりの金髪の女の子が寝てて、ドキドキ。
起きてきたので話をすると、なんとイスラエルの娘ですって。
その娘曰く、この部屋には日本人が一人いるとのこと。
はじめての日本人。
とりあえずお腹が空いたので、ご飯を食べに外へ。

北京に来たら北京ダックを食べようと決めてたので北京ダック屋に。

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これがなかなか美味しくて、一羽分で800円くらい。
十分お腹いっぱい。

食べ終わったあと、ナイロン袋につまった北京ダックの使わなかった分がまるまるドーンと渡されました。
まだまだ食べれるとがいっぱいついてるから、きっと北京ダックを頼んだ人はそれを持ち帰って出汁にしたり食べたりするんでしょう。
僕たちもそうしたかったけど、無理なので置いて帰りました。



んで。
部屋に帰ってみると、さっきのイスラエルのお姉さん、白人の男の子、そして日本人がいました。
その日本の方は僕らとそんなに歳離れてなさそうだったけど、すでに働いてて、5日間だけ休みをとって一人で来たんだという。
次の日にはもう帰るんだ、と言ってました。


少しそこでみんなとお喋りしたり、シャワー浴びたりして、ホテル内を散策していると、このホテルから万里の長城ツアーが出てるのを発見。
万里の長城は一番近くて有名な八達嶺長城でもかなり遠く、バスがいっぱいでてるとはいえ、ツアーがあるならそっちのがお得だということで参加することに。
万里の長城と明の十三陵、それからお昼ご飯なんかをひっくるめたまる一日のツアーで英語でガイドもしてくれる。

というわけで、次回は万里の長城編です。
ではまた。
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by jai-guru-deva | 2007-10-11 03:49 | 今日知る旅行

中国旅行記 北京編。

十日間ほど東京ピンポンダッシュのゆっきーと中国に行ってきました。

当初、モンゴルに行こうと思い、ビザまでとったのですが、中国のが面白そうじゃね??ということになり、10日間中国を回ることになりました。

僕にとって中国は、三国志、水滸伝などのおかげで世界で最も行ってみたい国でありました。
特に、遣隋使や遣唐使よろしく長安(西安)に行けたりしたら、こんな素晴らしいことはない、と思いいつか行きたいなー、と常々考えていたのです。

どうせ中国に行くなら、欲張っていろんな都市をまわろう、そして中国の人々と出来るだけ近い目線で中国を見よう、ということでツアーではなく、往復の航空券だけとってあとは行き当たりばったり、ユースホステルとかを現地で手配しつつ進もうじゃないか、とまあ無謀っちゃ無謀な旅に出かけたのでした。

僕はバックパックで巡る旅は初めてで、海外も高校1年生の時、イギリスに3週間ホームステイしたのが最後。
ほとんど初めての経験ばかりでした。
もしも中国バックパック旅行に出かけようと、情報収集されてる方がいらっしゃれば、少しはその参考になるような日記にしたいと思います。


旅行期間 : 2007年9月23日〜10月3日
訪問都市 : 北京→洛陽→西安→襄樊→上海

ちなみに10日でこの5都市はけっこうな強行軍になるので、体力や観たいところなどよく考えて10日前後だと3都市くらいに絞るのがベストかもしれません。
襄樊なんて滞在時間わずか6時間ほどでしたから(笑)

さてそれでは写真を貼りつつ、まずは最初の訪問地、首都北京についてです。

【9月23日 日曜日 東京→ソウル→北京】

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ゆっきーの家で。出発前。
彼の家と僕の家は近いので、旅の打ち合わせは割と楽だった。

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ゆっきー。
カープファンのため、カープで武装。

ちなみにこの日は夜中に集合し、旅への期待と不安でほとんど寝ること無く出発。いきなり疲れてました。

朝8時、出発。
早稲田駅に向かう途中、ジョソ氏と遭う(大学の同期の人)。彼はオール明けらしく目やにがすごいことになってた。
これは不吉だな、と憂鬱な気分になる。

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10時30分頃、成田着。
遠すぎですよね、成田空港。同じ時間飛行機に乗ったら韓国に行けちゃう。

僕たちは格安航空券を手に入れてました。
北京inの上海out
往復で4万円弱。空港使用料とか燃料チャージとか入れて5万ちょっと。

格安航空券ということで直通便ではなくインチョン空港(ソウル)で乗り継ぎです。
航空会社は大韓航空。

さて。空港について、まず現金を両替。
1元=17円のレートで交換。
8万円→4600元。
日本で両替するより現地で両替した方がレートは安いらしいけど面倒なので全部成田で変えました。
ちなみにこれが旅先での全財産。
トラベラーズチェックやクレジットカードは使いません。全部現金で持って行きました。ハラハラ。
中国だとこれくらいお金なら現金で持ってた方がいいかもね。
トラベラーズチェックは中国だといちいち銀行で現金にしなきゃならんようだし、カードはちょっと地方に行ったり屋台とかでご飯を食べる時に使えない。

まあともかく100元札を46枚ですよ。
一気に大金持ちの気分に。
財布パンパン。

このあと出国検査やら手荷物検査やらいろいろ通って、
13時20分、搭乗。

55分成田を出発。

16時20分、インチョン空港着。
乗り換えまで二時間余裕があるので免税店とか見てぶらぶら。


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日本語でおk

この食堂のメニュー、ほとんどの日本語訳が間違ってた。

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18時30分、北京行き搭乗手続き開始。
日本語が消える。アウェー感漂う。
インチョンは雨で、離陸したとき、雨の中ライトアップされたインチョン空港はとても綺麗でした。

そして

19時55分(中国時間。日本時間との誤差−1時間)
北京に到着しました。

まだ20時だというのに空港内は暗い。
トイレに行った隙に、ゆっきーを見失い、いきなり迷子。
泣きそうになる。
まあ彼もトイレにいたんだけど。

検疫検査の係のおねえさんは激しく眠そうで、僕たちが前に並んでも大あくびをして取り扱う気配がない。
しばらくして超ダルそうに、僕たちが空港内で書かされた検疫に関する紙を全く見ずにひったくって終了。

これはオカシイ国に来てしまったのではないか??
今更ながらビビり始める。

入国審査は、天下の国家公安委員会が登場。
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外人専用窓口に並ぶ。
とてもピリピリした雰囲気。

中国人の審査が早くすんだので、外人である僕たちをそっちに並ばせようと、
「ハロゥ!?」
と叫び、パンパン!!と手を打って、まるで家畜を並ばせるかのような扱い。
なんか癪なので意地でも動かず。

僕を審査してくれたのは割と若いお姉さん。
公安の、超冷徹そうな、このお姉さんに逆に萌えた。

ふと電光掲示板を見上げると、バグってる。
北京五輪!!とかって書いてあるのが余計に悲しい。。。

さて、無事入国できた僕たちを待っていたのは、税関。
手荷物の申告書を書かされてたので、荷物とともに見せようとするも、ここでもまったく働かない。
荷物も見なけりゃ申告書も受け取らない。
顔の前に差し出すと、ようやくうざったそうに乱暴にはぎ取るようにしてとっていくのでした。。。

首都の空港がこんなんで大丈夫か??
想像してた以上の人々のやる気の無さ、無愛想さに今後の旅への不安が募りました。。。

空港から市街へはリムジンバスが16元で出ているのでそれを利用します。
空港から出た瞬間から、ぼったくりと思われるタクシー運転手らがしつこくまとわりついてくるが、全部無視。
ちょっとでも応じようものなら(「No!」とか「不要!」とかでもダメ)脈ありと思われてずっとくっついてきます。無視して、自分には目的があってどこに行けば良いか分かってますよ、という顔をして歩いていけばすぐに諦めていきます。

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僕たちが乗るべきリムジンバスを発見し、とりあえず一服。
思ってた以上に乾燥してて、さらに黄砂も半端じゃなく俟っているので確実に喉をやられます。
北京の車は砂まみれです。

リムジンバスに乗り込み、揺られること1時間。
22時、バスは北京駅に到着。

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首都北京とはいえ、中国の夜は暗い。
中国人は暗くなったらちゃんと眠くなるようで、灯りは道の灯りと、ネオンの光のみ。
道の電灯がオレンジ色なのと、黄砂に覆われているのとで黄色っぽく煙って見えます。

さてさて、22時に知らない街に投げ出された僕たちでしたが、とりあえず今日の宿を決めねばならんということで、「地球の歩き方」に載ってたユースを目指すことに。

ところが、歩けども歩けども、探せども探せども、見つからず。
というか、地図と実際の街が一致しない。
地図が間違っているのか、街が変わってしまったのか。。。
謎だったけどそのユースは断念し、駅前にあった「城市青年酒店」というユースへ。
ドミトリーの部屋はいっぱいで、ツインのみ。
中国の宿では、お金は部屋毎にかかるのでツインの部屋なら表示価格の半分ずつでいい。
ドミトリーはベッド毎にお金がかかるので場合によっては二人で泊まる場合はドミよりもツインのが安かったりもします。
この日の宿は160元/部屋なので一人80元。1300円くらい。
プラス、デポジットとして100元。
これはもちろんチェックアウト時に戻ってきます。

さて。

部屋に入ったはいいものの、電気のスイッチが壊れてる。
フロントに電話してみる。ドキドキ。
ところが(というか予想通り)僕の英語は全く通じず。
落胆。
フロントまで行って、拙い英語とジェスチャーでなんとか伝えることが出来て、係の人を派遣してくれることになった。

しかし、係が到着する前に、自分たちで直してしまう(笑)

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こんな感じの部屋です。
一服して近くの遅くまでやってるスーパーへ。

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「超市」
そのまんま。

きったないそのスーパーで物色していると、若い女の子ばかりの店員がまとわりついてくる。
きっと商品をすすめてるんだろうけど、中国語、全く分からないので適当にあしらってると、会計の時、「Where are you from?」と聞いてきたので(英語できるなら最初からそっちにしてくれ)「Japan」というと、ある娘は「ほら〜」と。またある娘は「コリアンかと思ったわ」と。
西安で友達になった韓国人と話してて判明したのだけれど、どうも僕は韓国人顔らしい。
その彼は「君は韓国人と同じような顔をしている。最初、韓国人かと思った」と言ってた。
で、ゆっきーはというと彼曰く「典型的な日本人顔」なんだと。

どうもそういえば、大韓航空の飛行機で僕が通路側に座ってたらスチュワーデスに韓国語で喋られ、逆にゆっきーが通路側にいたときは「日本人ですか」と聞かれてた。。
また別にもそんな場面が多々あったので、彼の言うことはまあ間違ってないのでしょう。

きっとスーパーの娘も、前者はゆっきーの方の印象から日本人と判断し、後者は僕を見て韓国人だと思ったのかな。
ちょっと面白かった。

まあ、いい娘たちでした。

ホテルに帰ってテレビをつけたら日本のゴジラがやってました。

1時30分、力尽きて就寝。



中国に来て、そのあまりの適当さ加減に嫌気がさして、すでに帰りたくなってた僕でした。
けれども人間の適応能力って本当すごくて、次の日には慣れ始め、3日目には楽しくなって4日目には現地人と同化してました。。

さて、北京で起こったことは全部まとめたかったんですが、ちょっと別な用事の時間なので、また次の記事で。
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by jai-guru-deva | 2007-10-05 15:36 | 今日知る旅行