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適塾的塾。

早稲田が麻疹休講になる前の週にちょいと大阪に行ってきましたよ。
今回は特に歴史の旅でもなかったのですが、たまたま宿をとったところの近くにかの有名な「適塾」がそのまま残っているというので、これは僕としては行くしかない、とつい行ってしまいました。

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適塾は緒方洪庵が大阪は瓦町に開いた蘭学の塾。
緒方洪庵、この人は僕の実家のある岡山を代表する偉人です。
岡山の足守というところの人。高校のころ足守に住む友達がいたのでその人の家に泊まって洪庵の生家を訪れたこともありました。
ちなみに足守はものすごーい田舎です。とってものんびりした場所ですよ。

緒方洪庵門下には、福沢諭吉橋本左内大鳥圭介など歴史好きでなくとも知っているような大物がズラリ。
あと面白いのが手塚治虫の曽祖父にあたる手塚良仙という人も門下にいたということ。
手塚家はもともと蘭方医だったらしく、良仙という名前もどうやら世襲ぽい。
良仙は明治維新後、陸軍医になって、西南戦争にも従軍したようですがそこで病に倒れたようです。

大漫画家との意外な接点。
こういうことがあるから史跡めぐりはやめられない。

適塾は明治維新後、大阪医学校という学校が新設され、そこに教師も塾生も全員移動、となり廃校となったようです。
大阪医学校は現在の大阪大学医学部の前身にあたるため、適塾は大阪大学医学部のルーツになるのですね。
そのためか、大阪大学が適塾のホームページ管理もしています。
大阪大学の適塾紹介ページ

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二階内部。
広いです。
ここで福沢諭吉とかが勉強してたんだー、と思うと興奮しますよ。

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内部から中庭の方を眺める。

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ターヘルアナトミア。
「解体新書」です。

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外から、緒方洪庵の像とともに。

適塾はもともと、商家だったのを洪庵が買い取って塾にしたものなので、江戸時代末期の町屋の様子を現在に残す遺構としても貴重だということです。

下記は大阪大学の適塾紹介ページより引用。

適塾は元来は医学、医療を教育する塾であったが、青雲の志熱き若者である塾生たちにとってはオランダを通じてもたらされる最新の知識、技術には一々驚くものがあったのだろう。関心の赴くところを制限されることもなく各種の本をどん欲に読んだようで、その基礎となったのは、適塾で行われていた蘭書の会読会であった。判らぬ言葉の意味を探して、適塾に一冊しかなかったヅーフ辞書を奪いあうように利用した。そのため、辞書をおいた部屋はヅーフ部屋と呼ばれ、明かりが消える間がなかったといわれている。

塾生たちの勉強ぶりはすさまじかったようで、福沢諭吉にして、自伝の中で「凡そ勉強ということについてはこのうえにしようもないほどに勉強した」と述懐しているほどである。

このような自由闊達な塾風が、幕末から明治初期にあって各分野で活躍する多様な塾生を数多く輩出したのである。



どうもこの塾は先生が一方的に生徒に何かを教える、というタイプの塾ではなかったようです。
勉強したいことがあるからそこにいて、勉強したいことを勉強する。

僕も、いち学生として見習わなければなりませんね。


適塾に、学生の本分を思い起こさせていただきました(いまさらだけど)。
by jai-guru-deva | 2007-05-24 04:35 | 今日知る旅行
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